村の出入

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村や百姓の間では、さまざまな争いが起こっていた。それは相手の不法な行為を訴えるものであり、同時に自分たちの権利を守るためのものであった。近世ではこれらの争いを「出入(でいり)」と呼んでいた。「出入」は民事関係の事件、訴訟の手続きを示すことばでもあった。訴訟手続きのうち、現在でいう刑事裁判手続きを「吟味筋(ぎんみすじ)」といい、民事裁判手続きを「出入筋(でいりすじ)」と呼んでいた。近世は幕府によって「裁判制度」が整えられた時代であり、とくに八代将軍吉宗の時代には、「公事方御定書(くじかたおさだめがき)」が出されるなど、裁判の判例集も整備され、各地で頻発する訴訟への対策が取られたのである。
 訴訟が起こされると、百姓は支配役所へ出向いて吟味(この場合は取り調べや調査を意味する)を受け、解決の道を模索することになった。出入は基本的に、「扱人(あつかいにん)」と呼ばれる仲介者を頼って、できるだけ「内済(ないさい)」(示談)というかたちで解決することが求められた。あくまでも表沙汰にはせず、内々に解決することが原則だったのである。内済がうまくいかない場合は、支配領主や奉行などからの裁許によって解決の方向性が示された。
 なお、現在の小平市域は、ほぼ代官支配の村々で構成されているため、役所で訴訟が行われることになれば、百姓たちはまず江戸の代官所へ出向き、さらに勘定奉行所などに出頭して答弁をすることになった。