近世の村で起きた出入は、基本的には、村のなかあるいは近隣の村人などの仲介による内済が目指された。百姓が代官所や奉行所に訴えた場合も、代官や奉行は命令として判決をくだすのではなく、関係者相互の話し合いによる解決を望んでいた。近世における私的な争論の原則的な解決方法は内済であり、奉行らは、妥当な解決策へ関係者を誘導していくことが役目とされていた。
内済を促す役割を具体的に果たしていたのが「扱人(あつかいにん)」であった。多摩地域において扱人として活躍したのは、後述する田無村(現西東京市)の下田半兵衛など、多摩地域の村々のなかでも訴訟の扱いに慣れた村役人層が中心であった。彼らは近隣の村々で起きた出入の仲介者として、役所からも期待される人びとだったのである。