済口証文

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扱人によって内済が行われた後は、関係者が内済に納得し、それを守ることを証明する、「済口証文(すみくちしょうもん)」が作成された。後述する小川新田と廻り田新田の村境争論の決着時に作成された、済口証文の差出人部分は図2-62の通りである。
 

図2-62 済口証文の差出人部分
文化11年11月「差上申済口証文之事」(史料集17、p.33)

 
大岡源右衛門御代官所
武州多摩郡
文化十一戌年十一月小川新田
訴訟方 名主 俊蔵(印)
組頭 弥兵衛(印)
廻り田新田
相手方 名主 忠兵衛(印)
与頭 庄兵衛(印)
小野田三郎右衛門御代官所
同州同郡
鈴木新田
名主 利左衛門(印)
野中新田
名主 善左衛門(印)
南野中新田
扱人 名主 六郎右衛門(印)
大沼田新田
同  名主 弥左衛門(印)
大岡源右衛門御代官所
同州同郡
本多新田
扱人 年寄 半蔵(印)

 
 この証文の標題は「差上申済口証文之事(さしあげもうすすみくちしょうもんのこと)」で、済口証文を「差し上げる」という意味を持つ。証文は関係者間で約束を交わした証拠の役割を果たしていた。差出人部分には、訴訟方として小川新田の村役人、相手方として廻り田新田の村役人、問題となった道に関係していた鈴木新田・野中新田の名主がそれぞれ署名捺印している。また、扱人として南野中新田(野中新田六左衛門組、現国分寺市)・大沼田新田の名主、さらに本多新田(現国分寺市)の年寄も連印している。二つの村の村境争論であったが、近隣の村々がかかわりながら出入が進展し、また解決したことがわかる。
 以下、本節では、周辺の村々との深いかかわりを持ちながら進展していった出入、さらに一つの村において長期間に及んだ出入について紹介しよう。