一方、安永九年一〇月には、伝兵衛をふくむ下分の百姓、一四名の「水論入用勘定帳」が作成された(史料集二五、二〇八頁)。この勘定帳の内訳、合計を示したものが表2-30である。入用の費目の詳細は不明であるが、代官所役人のためとみられる「見分入用」などが記され、合計二一貫一〇〇文となった。これを一軒につき五四〇文の計算で割り付けている。
表2-30 采女堀争論入用 (安永9年10月 大沼田新田下分) | ||
費目 | 金額 | |
雑用 | 14人 | 3貫150文 |
2人 | 500文 | |
19人 | 4貫750文 | |
27人 | 6貫750文 | |
13人 | 3貫250文 | |
7人 | 1貫750文 | |
諸入用 | 306文 | |
見分入用 | 1貫642文 | |
合計 | 21貫100文 | |
*安永9年10月「水論入用勘定帳」(史料集25、p.208)より作成。 *合計はおおよその計算と考えられ、実際の合計とは若干の相違がある。 |