日本の近世とは、常識的には、「士農工商(しのうこうしょう)」の身分制の社会と理解される。つまり、人びとは生まれた「家」により士農工商などのいずれかの固定的な「身分」に分かたれており、特に士と農工商との間には、支配するものとされるものとの明確な上下関係と強固な壁があり、「苗字帯刀(みょうじたいとう)」や「切り捨て御免」といった形でその差が表現される社会であること。そして、その居住地については、中世から近世へ移り変わる際、「兵農分離(へいのうぶんり)」により、支配者である武士は城下町へ集住し、村から武士はいなくなると同時に、武士は城下町から文書でさまざまな指令を行うことによって支配が実現していたことが知られている。
このような、固定的な「身分」と、兵農分離にともなう武士(城下町)と百姓(村)との居住地の分離ということは、常識として広く知られてきたことであるが、一方で、地域を微細にみれば、このような理解では説明できないことが多々ある。近年、士農工商の狭間(はざま)に位置し、行き来する「周縁的(しゅうえんてき)」身分の実態が確認されるとともに、固定的とされる「士農工商」そのものも、実は流動的だったことが明らかとなってきている(久留島浩編『支配をささえる人々』)。