小平市域の兵農分離と村の武士

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小平市域は、幕末期の一時期を除き、基本的に一貫して幕府直轄領である。小平市域を支配する代官は、初期は八王子から、一七世紀後半からは基本的に江戸の代官役所から、文書を介して支配を行い、代官や手代が村へやってくるのは、秋の検見の頃など、年に数回ほどである(第一章第三節)。したがって、兵農分離の原則にしたがえば、小平市域の村々では、青梅街道などを通行する武士を除けば、武士を目にする場面は極めて希(まれ)だったはずである。しかし、残された記録には、一七・一八・一九世紀それぞれの時代に、兵農分離にも関わらず、村に居住していた武士の姿が確認できる。これらの村のなかの武士のあり方は、各時代の、地域と武士との関わり方を象徴的に表している。以下、時代を追って、村の中の武士の姿をみていきたい。