表2-34 小川村抱屋敷一覧表 | ||||||
屋敷主 | 身分・家禄 | 前屋敷主 | 所持開始年代 | 所持終了年代 | 後屋敷主 | |
1 | 一場郷左衛門 | 発端より | 元禄8年7月 | 小川一郎兵衛 | ||
2 | 細井藤八郎 | 開発被致候時分 | 元禄10年3月 | 小川市郎兵衛 | ||
3 | 板倉儀右衛門 | 新田発端之時分 | 元禄15年9月 | 小川政右衛門 | ||
4 | 河村源右衛門重朝 | 旗本/300俵 | 新田開発之時 | 元禄16年 | 石丸数馬(no.24/25) | |
5 | 鈴木市郎兵衛重俊 | 旗本/200俵 | 発端 | 宝永4年12月 | 小川九市郎 | |
6 | 木呂子権左衛門 | 松平帯刀家臣 | 新田開発之節 | 享保4年6月 | 小川弥市 | |
7 | 岡部内記忠壽 | 旗本/1500石 | 新田発端之節 | 享保12年10月 | 小川弥市郎 | |
8 | 河村三左衛門 | 加賀藩士 | 新田発端之節 | 享保4年8月 | 三宅善十郎(no.26) | |
9 | 河村三左衛門 | 加賀藩士 | 新田発端之節 | 享保14年10月 | 小川弥市 | |
10 | 品川宿 伊兵衛 | 町人 | 草分之砌 | 寛政9年4月 | 小川弥四郎 | |
11 | 近藤登之助貞用 | 旗本/5450石余 | 元文3年10月 | 小川弥次郎 | ||
12 | 富田七左衛門 | 旗本伊奈半左衛門家臣兼旗本/200石 | 寛文9年11月 | 岩根三郎兵衛(no.13) | ||
13 | 岩根三郎兵衛 | 本多大膳家臣 | 寛文9年11月 | 天和2年5月 | 久貝忠左衛門(no.20) | |
14 | 吉益孝庵 | 寛文13年2月 | 小川市郎兵衛 | |||
15 | 南条小兵衛隆屋 | 旗本/300俵 | 理左衛門 | 延宝3年3月 | 元禄6年2月 | 助左衛門 |
16 | 鳥居三郎右衛門重次 | 旗本/400石・300俵 | 庄兵衛 | 延宝4年12月 | ||
17 | 間宮理右衛門正俊 | 甲府藩徳川綱重(桜田館)家臣 | 新右衛門 | 延宝5年7月 | ||
18 | 関甚右衛門・関甚五兵衛 | 延宝7年12月 | ||||
19 | 間宮理右衛門正俊 | 甲府藩徳川綱重(桜田館)家臣 | 太郎左衛門 | 延宝8年12月 | ||
20 | 久貝忠左衛門正方 | 旗本/5500石 | 岩根宇右衛門(no.13) | 天和2年5月 | 元禄8年10月 | 小川市郎兵衛 |
21 | 曾我又左衛門仲祐 | 旗本/2500石 | 三郎右衛門 | 天和2年8月 | 三宅又十郎(no.40) | |
22 | 榊原忠右衛門忠秋 | 旗本/400石 | 河村兵四郎(no.39) | 天和年中 | 明治5年2月 | 次郎右衛門 |
23 | 清水豊次郎・角田亀次郎 | 河村又十郎(no.34) | 元禄11年7月 | 宝永5年10月 | 小川九一 | |
24 | 石丸数馬定賢 | 旗本/2000石 | 河村源右衛門(no.4) | 元禄16年 | 宝永4年4月 | 市兵衛 |
25 | 石丸三左衛門 | 河村源右衛門(no.4) | 元禄16年 | |||
26 | 三宅善十郎秀明 | 旗本/600石 | 河村三左衛門(no.8) | 享保4年8月 | 享保5年3月 | 小川弥一郎 |
27 | 牧六郎左衛門 | |||||
28 | 兼松又四郎正寔 | 旗本/1200石 | 貞享3年2月 | 七兵衛 | ||
29 | 大森半七郎時長 | 旗本/1470石余 | 貞享4年12月 | 小川市郎兵衛 | ||
30 | 甲斐庄喜右衛門正永 | 旗本/300俵 | 自分取立 | 元禄4年12月 | 小川市郎兵衛 | |
31 | 上遠野平右衛門 | |||||
32 | 小嶋昌慶・神田三郎兵衛 | 元禄7年9月 | 小川一郎兵衛 | |||
33 | 山本七之助・平井藤助 | 元禄10年4月 | 小川市郎兵衛 | |||
34 | 河村(三宅)又十郎清親 | 旗本/250俵 | 元禄11年7月 | 清水豊次郎・角田亀次郎(no.23) | ||
35 | 松平下野守信治 | 駿河国小嶋藩主/1万石 | 元禄12年8月 | 屋守 清右衛門 | ||
36 | 大久保市十郎常春 | 近江国大名/1万石 | 宝永2年3月 | 貞右衛門 | ||
37 | 田村庄左衛門直佳 | 200石50俵 | 享保16年9月 | 小川弥次郎 | ||
38 | 江戸 さよ | 町人 | 寛延元年11月 | 小川弥次郎 | ||
39 | 河村兵四郎清勝 | 旗本/250俵 | 天和年中 宝暦5年12月 | 榊原七右衛門(no.22) 市右衛門 | ||
40 | 河村(三宅)又十郎清親 | 旗本/250俵 | 曾我又左衛門(no.21) | |||
41 | 久松弥一郎僚恭 | 旗本/300俵 | 2月19日 | 左五兵衛 | ||
小川家文書、『寛政重修諸家系譜』より作成。所持開始の早い順に、次いで、所持終了の早い順に配列してある。 |
小川村抱屋敷の屋敷主の身分で最も多いのは、三六家中一八家を占める旗本である。うち半数の九家は五〇〇石未満であり、小身の旗本が小川村に抱屋敷を所持していたことがわかる。また、二家の大名が抱屋敷を所持しているが、いずれも一万石であり、近世初期に加増によって大名に到達した家である。その他、旗本弟一家、旗本家臣二家、大名家臣二家と、いずれも江戸の下級武士が抱屋敷を所持している。不明の九家も武家と推定され、屋敷主三六家中、町人のさよと伊兵衛を除いた三四家は武家である。
小川村の抱屋敷主の最も特徴的な点は、屋敷主の旗本同士が密接な縁戚関係を結んでいることである。屋敷主の縁戚関係を図示したのが図2-67であるが、小川村に抱屋敷を所持していた河村・三宅・石丸・南条・榊原を中心とする九家が、分家や婚姻、養子など密接な縁戚関係を結んでいたことがわかる。なかでも中心となる河村家・三宅家は、後述するとおり、開発期より小川村に抱屋敷を所持しており、これら小身の旗本家が、明暦の大火の前年に多摩地域にできた小川村に抱屋敷を求めてきたようすがうかがえる。
図2-67 小川村抱屋敷主縁戚関係 『寛政重修諸家系譜』より作成。 |