「御用」を請け苗字帯刀する村人たち

540 ~ 541 / 868ページ
近世において、身分の差、特に、士と農工商との間を区別するコード(記号)として最もよく知られているのは、「苗字」と「帯刀」である。苗字は基本的にすべての人びとが持つが(第一章第一節コラム)、公文書に記名する際、苗字を書くことを許される人(武士)と、許されない人(その他)という形で、文書の上で身分の差が表現されるのが「苗字」である。そして、刀をはじめ、武器は刀狩り後も村や町にも存在したが(第三章第六節コラム)、日常的に、あるいは公的な場面で刀を差すことが許されるもの(武士)と、許されないもの(その他)という形で、姿で身分の差が表現されるのが「帯刀」である(その他、羽織や肩衣(かたぎぬ)の着用、形やデザインなどにより、武家社会のなかの複雑な階層が表現されていた)。すなわち、文書に苗字を名乗り刀を差した武士が支配・行政を担当する、というのが、近世社会の決まりであった。「武士」の「武」は、文字通り武力(軍事力)を担うことを意味するが、「士」には、「士大夫(したいふ)」、つまり、行政官や統治者の意味が込められており、軍事力を帯びつつ、行政を担当するというのが、近世の支配者の姿である。そして、武士が担う行政行為は、「御用」と認識されていた。
 この、苗字を名乗り、刀を差した武士は、兵農分離によって城下町に集住しており、基本的には、村に居住することはない。しかし、社会が複雑化するなかで、文書による伝達と上申では対応できない事態が起こるようになる。そうすると、地域のなかから、本来武士が担うべき「御用」を一時的に担う人びとがあらわれ、支配を支えるようになるのである。これらの人びとは、「御用」を請け負う際には、苗字帯刀することにより、一時的な武士身分状態となり、「御用」を遂行していく。このような現象は、近世中期より広く見られるようになり、小平市域でも「御用」を請け負う人びとがいた。以下、どのようにしてこのような人びとが現れ、何を求めていたのか、みていきたい。