文書の利用

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作成した文書は保管しておくだけではなく、利用することもあった。大沼田新田の名主弥左衛門から栄之助(伝兵衛)あてに出された書状の一つに、「地面の儀少々決し難き所御座候に付、先達ての帳面御かし下さるべく、調べ候えば、早々御返し申すべく候」と書かれているものがある。「土地のことで決めがたいことがあるので、この前の帳面を貸して欲しい。調べたらすぐに返すので」ということである。弥左衛門は、宝暦二年(一七五二)・三年・五年・一一年・一二年・一三年・明和元年(一七六四)・二年・三年・四年、計一〇冊の帳簿を求めている(当麻伝兵衛家文書)。弥左衛門が調べたかったという具体的な内容は不明であるが、たびたび過去の帳簿を引き出して参照していたのである。
 弥左衛門が借用を依頼したような、土地にかかわる帳簿のなかでも、村の土地の基本台帳であった検地帳は、近世を通じて有効とされた帳簿である。検地帳も一冊は役所へ提出したが、一冊は村で保存された。そして村の「現用帳簿」として利用されることもあった。野中新田善左衛門組の元文検地帳の名請人部分には、苗字もふくんだ百姓名を記した、明治期以降の付箋が貼られている(市役所引継文書)。明治期の各土地の所有者を明示したものにもなっているのである。