元文元年(一七三六)一一月二五日、野中新田の善左衛門が持っていた、各種の文書が、当時の三名の名主与右衛門・角左衛門・六左衛門の立ち会いのもとで確認され、善左衛門から与右衛門に預けられた。文書の保管を委託したのである。年貢の割付三通・目録二通、検地野帳一冊、年貢上納小手形など、野中新田そして善左衛門にとっても重要な文書群である。この年、善左衛門は村の出入(でいり)によって吟味を受け、名主役を召し上げられ、牢舎(ろうしゃ)を言い渡されており(第一章第二節4)、重要な文書群を、組は異なるが同じ野中新田の名主である与右衛門に預けたのであった。善左衛門は一二月には赦免となったが、事前に保管文書への対策を行ったのである。