小川村の惣百姓印

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すでにみてきたように、小川村は現在の小平市域では最も早い、一七世紀中期に成立した村である。一七世紀中期は、百姓の印の所持が一般的に定着するだけではなく、とくに関東地域を中心として、村方文書のなかでも特徴的な印の事例がみられ、小川村でもその事例が存在する。それが「惣百姓印」である。これは文書の差出人箇所に、村のすべての百姓を示す「惣百姓」の名によって署名や捺印がされるものである。小川村の場合、特定の百姓の印を「惣百姓」の印として使用しており、とくに延宝期(一六七三~八一)の出入では、組頭又右衛門の印がたびたび使用されていた(図2-85)。これは又右衛門が出入を主導していたことに起因していた(第一章第一節5)。出入が長引き、百姓たちが離反するなかで、又右衛門は個々の百姓から印を取ることが困難になった事情もあって、「惣百姓」として又右衛門の印を押す、という行為に出たことが想定される。このように、一七世紀には、村の文書作成に大きくかかわった百姓によって捺印が行われることも多かった。

図2-85 小川村の惣百姓印
又右衛門と同じ印が使用されている。
延宝5年7月「手形之事」(史料集15、p.25)