その後、一七世紀末期以降には、印の内側に文字が彫られている印が使用されるようになる。たとえば貞享三年(一六八六)閏三月の文書では、「宝」「福徳」の文字が彫られた印がある(図2-86④⑤)。印に彫る文字には、縁起のよい文字が選ばれているようである。さらに一八世紀になると、二つの文字が彫られた印が主流となる。二つの文字は百姓の実名や、引き続き縁起のよい文字が選ばれていると考えられる。なお近世後期の印は円形がほとんどとなった。近世の百姓の印は時期によって、形態や彫られる文字が変化していった。
図2-86 印の形態
①②:明暦4年2月「相定申一札之事」(史料集12、p.184)
③:寛文3年3月「指上申一札之事」(史料集12、p.3)
④⑤:貞享3年閏3月「手形之事」(史料集15、p.60)