印の形態と変化

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百姓が使用する印には、さまざまな形態があった。現代の私たちは一般に円形の印を使用しているが、近世前期には多種多様な印を使用する事例がみられる。小川村の文書のうち、明暦四年(一六五八)二月の文書にみられる百姓の印には扇形の印、そして寛文三年(一六六三)三月の文書には壺形の印など、一七世紀の百姓が使用した印は円形だけではなく、多様な形態がみられる(図2-86①②③)。これらの印の内側には直線的な模様が彫られていることも特徴である。
 その後、一七世紀末期以降には、印の内側に文字が彫られている印が使用されるようになる。たとえば貞享三年(一六八六)閏三月の文書では、「宝」「福徳」の文字が彫られた印がある(図2-86④⑤)。印に彫る文字には、縁起のよい文字が選ばれているようである。さらに一八世紀になると、二つの文字が彫られた印が主流となる。二つの文字は百姓の実名や、引き続き縁起のよい文字が選ばれていると考えられる。なお近世後期の印は円形がほとんどとなった。近世の百姓の印は時期によって、形態や彫られる文字が変化していった。

図2-86 印の形態
①②:明暦4年2月「相定申一札之事」(史料集12、p.184)
③:寛文3年3月「指上申一札之事」(史料集12、p.3)
④⑤:貞享3年閏3月「手形之事」(史料集15、p.60)