印に刻まれた実名

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一八世紀以降にみられる、二つの文字による印文でとくに目につくのは村役人層の印で、彼らの実名と確認できることも多い。たとえば、鈴木新田の名主となった利左衛門の享保七年(一七二二)八月の文書の印文には「重廣」とあり、これは利左衛門の実名である(図2-87①)。また安永八年(一七七九)三月の大沼田新田の宗門帳に押された年寄伝兵衛の印文は「豊房」であり、これは當麻伝兵衛家二代目当主伝兵衛豊房の実名である(図2-87②)。どちらも印の上から下へ文字を彫ったものである。
 さらに時代をくだり、小川村の弘化二年(一八四五)の宗門帳にみられる九一郎の印の印文は「義為」と読める。(図2-87③)これも小川家一一代目当主九一郎義為の実名「義為」を印文としたものであろう。また文字の置き方をみると、右から左へ文字が彫られている。このように個人の実名と特定でき、また右から左へ文字を彫った印が一般的となるのは、近世後期以降である。

図2-87 印に刻まれた実名
①:享保7年8月「乍恐口上書を以奉願上候」(史料集12、p.80)
②:安永8年3月「宗旨人別帳」(當麻家文書F-1-2)
③:弘化2年3月「当巳宗門人別帳」(小川家文書F-1-26)