以上にみたような生産と生活の高まりは、皆が享受できたわけではなかった。一般に、作物の販売を目的とした商業的農業や、農間渡世として取り入れられたさまざまな商業・加工業・製造業は、作物の豊凶はもちろんのこと、物価や景気の動向によっては、損失を被り、没落する危険も少なくなかったからである。
こうして、当時の村の百姓のなかには、大きく成長していく者と没落する者、すなわち持つ者と持たざる者の格差が生まれていくことになる。当時の言葉では、前者を「有徳の百姓(うとくのひゃくしょう)」(ここでいう、有徳とは富裕なさまを意味する)、後者を「困窮人」などと表現する。以下では、こうした百姓の階層差が拡大していくようすとそれへの村の対応をみていくことにしたい。