その内容は、表3-5に示したとおりであり、とくに二条目に見えるように、仲間組織が整えられていることが注目される。これによれば、水車稼人を大きく南北に二組に分け、それぞれを統括する大行事を置き、さらにその下には小組合を作って、やはりこれらを統括する行事を組ごとに置くこととされている。南方大行事には上高井戸宿(現杉並区)三左衛門、北方大行事には田無村の下田半兵衛が選任され、小組合は、柳瀬川組・膝折組・片山組・堀端組・白子組・保谷組・北沢組・佐須組・祖師ヶ谷組の九組が作られた。これらの小組合には、大行事の二名を含めて、五七か村九五名の水車稼人が組織された。小平市域にあった村の水車稼人は表3-6のとおりで、堀端組と保谷組に属していた。
表3-5 安政4年水車稼人仲間議定 | |||
条目 | 要点 | 内容 | |
1 | 法度と仲間議定の厳守 | 幕府の定める法度はもちろん、仲間議定を堅く守る。 | |
2 | 仲間の組織 | 水車稼人仲間は、南は玉川北縁、西は府中最寄り、北は川越往還を限る範囲の水車稼人たちで結成する。南と北にそれぞれ大行事を置く。さらに、南の方は高井戸(現杉並区)最寄り、北は片山(現埼玉県新座市)・膝折(同)辺、玉川上水南側は小金井(現小金井市)最寄り、上水北側は田無(現西東京市)最寄りで、それぞれ小組合を作り、行事を定める。 | |
3 | 粉直売の確保と誠意ある取引 | 粉の販売先は各々自由に選んでよいが、問屋にだけ販売するようなことはせず、なるべく直売し、江戸への出荷量が潤沢になるよう心がける。そうすれば、粉の値段も相応になり、回収できない代金も減るだろう。いずれにも誠意ある取引をするが、得意先に誠実でない者がいた場合は行事が掛け合った上で、名前を張り出し、この者とは仲間全員が取引をしない。 | |
4 | 水車稼人同士の競争防止 | 水車稼ぎ人同士で販売先を競わないようにする。もし、新規の注文が来たら、その注文主と以前に取引をしていた水車稼人に、支障がないかどうかを確認してから、取引を始める。 | |
5 | 「御用」の引き受けの規定 | 武家方から粉類の買い上げや、米・雑穀の搗き立てを命じられたら、なるべく安い値段で引き受ける。 | |
6 | 仲間による挽賃・搗賃の決定 | 挽賃・搗賃は仲間で決めた額より高くしない。挽賃・搗賃は相場によって決定し、張り出しておく。 | |
7 | 新規加入の許諾 | 新しく水車を設ける者があれば、最寄りの行事が調査して、仲間の水車稼人に支障の有無を相談し、支障がなければ仲間に加入させ、加入にかかった経費は新規加入者が差し出す。 | |
8 | 貸水車の許諾 | 期限を設けて水車を他人に貸す際は行事に申告し、仲間の水車稼人に支障の有無を相談し、支障がなければ許可する。その際にかかった経費は水車を借りる者が差し出す。 | |
9 | 奉公人雇用の注意点 | 粉を挽く奉公人を召し抱える際は、前の主人に問い合わせて、負債などの問題がないかを確認したうえで雇う。 | |
10 | 江之島百味講の結成(信仰面での結束強化、仲間の娯楽・親睦) | 江之島百味講(江の島にある江島神社に「百味」〈=多くの料理〉の供物を供える信仰集団)を結成し、毎年くじ引きで江の島への参詣人数を決める。 | |
『公用分例略記』pp.260-265、『田無市史』第3巻通史編pp.469-473をもとに作成。 |
表3-6 水車稼人仲間の構成員(現小平市域) | |||
堀端組 | |||
小川村 | 九一郎 | ||
小川新田 | 弥一郎 | ||
〃 | 日向 | ||
鈴木新田(上鈴木) | 五郎兵衛 | ||
野中新田 | 藤右衛門 | ○ | |
保谷組 | |||
大沼田新田 | 弥左衛門 | ||
〃 | 伝兵衛 | ||
鈴木新田 | 惣右衛門 | ||
(又右衛門) | |||
〃 | 定右衛門 | ||
〃 | 長十郎 | ||
廻り田新田 | 忠助 | ||
〃 | 庄兵衛 | ||
野中新田 | 善左衛門 | ||
〃 | 弥五左衛門 | ||
(仲右衛門) | |||
〃 | 源八 | ※ | |
〃 | 武兵衛 | ※ | |
〃 | 長右衛門 | ||
*伊藤好一『武蔵野と水車屋』pp.178-179の表より作成。 *表中の○は小組合の行事、※は野中新田六左衛門組(現国分寺市)に住んでいる可能性がある者。 *( )の名前は、安政4年の仲間議定に、「当時支配人」「代」という肩書で署名している者。 |
江戸の問屋との紛争などに際し、水車稼人が結束し、「仲間」として現れたことは、以前にもみられたことであった。しかし、この議定にみえる仲間結成は、それまでとくらべて、より多くの水車稼人が参加し、恒常的な組織が構築されている点で特筆され、これによって水車稼人たちの結束は、さらに強まった。彼らは、表3-5に見えるような、粉の直売の確保(三条目)、水車稼人間の競争防止(四条目)、挽賃・搗賃の取り決め(六条目)、新規開業者や貸水車の許諾(七・八条目)などを通じて、水車稼人の利益を集団的に確保しようとしたのであり、ここに、江戸との関係における、武蔵野の村々の成長が示されている。