文書の書き方を学ぶ

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二つ目に、実際に小平市域で使用された証文などの文書をテキストとして利用していた。
 各村の文書群に残された往来物には、「諸証文書翰帖(しょしょうもんしょかんちょう)」、「奉公人請状・質地証文一」、「口上並日用書類(こうじょうならびにひようしょるい)」といったものがある。これらは、地域で生活していくことのできる知識を学習するテキストであり、小平市域で使用されたり、全国で一般的に使用されていた文書の雛形を教材とすることで、実生活に必要な知識を身に付けさせたのである。
 小川新田の吉田家に残された手習本を見ると、多くの文書の写しをみつけることができる。たとえば、吉田鶴松が使用した天保六年(一八三五)四月「証文類」をみると、次のような三つの文書から構成されている。
①「入置申質地証文(いれおきもうすしっちしょうもん)」 年号月日/多摩郡小川新田 質地主 何兵衛、五人組 何右衛門、組頭 何助 → 同所誰殿
②「譲渡申地所証文之事(ゆずりわたしもうすじしょしょうもんのこと)」 年号月日/多摩郡小川村 譲主 助五郎、五人組 太助、親類 瀬兵衛、名主 権十郎 → 同所伝十郎殿
③「差上申手形之事(さしあげもうすてがたのこと)(関所手形)」 天保六年未三月廿日/御代官山本大膳支配所 武州多摩郡小川新田 名主 駿造 → 駒木野御関所 御役人中様

 ①は雛型、②は年月日の記述はないが実際に小川村で使用された文書、③はこの手習本が作成される直前の天保六年三月二〇日に小川新田で作成された文書である。
 また、吉田磯次郎が使用した手習本である天保一四年六月「万証文賑合(よろずしょうもんにぎあい)」には、同年六月「入置申質地証文事」、同年六月一一日「差上申手形之事(関所手形)」、「東都方角」が収録されている。


図3-11 「万証文賑合」
天保14年6月(吉田家文書)

 大沼田新田には奉公人が多く存在しており、「奉公人請状」をテキストとして利用することは、この地域特有の実態に合わせたものといえる。
 これらで共通しているのは、地域で実際に使用されていた文書であり、過去の文書が継続して使用されるのではなく、手習本が作成されるごとに当時の最新の文書がテキストとして活用されているということである。また、その種類は、質地証文、譲渡証文、借用証文、奉公人請状、関所手形と、日常生活の中で多く授受する文書であることがわかる。
 これらの文書の作成自体は、当事者同士ではなく、村役人の手によるものであった。しかし、記述内容の確認や文書自体の取り扱いなど、文書についての知識は地域住民すべてに必要であったといえ、日常生活に必要な実践的な知識を身につけることを目的としていたことがわかる。