小平市域に広く見られるテキストとして、江戸の地理に関するものがある。『東都方角』、『江戸方角』、『江戸名所往来』などと題されているものである。
この『江戸方角』は、現存するなかでは明和二年(一七六五)刊のものが最も古く、寛政五年(一七九三)に出版されたもので体裁や内容がほぼ定型化し、それ以降は改訂版や類似品が多く刊行されて広く普及した。江戸城を中心に、各方角に位置する城門、町、寺社、河川溜池、橋梁、名所などの名称を列記しており、手習いの手本となるほか、江戸の地理を覚えるのに役立つ。江戸府内や周縁地域の手習塾では、手本として広く利用されていたことが明治期の調査結果から判明している。
では、なぜ小平市域の人々は、江戸の地理に関する知識を身につけなければならなかったのであろうか。それは、小平市域と江戸との政治的・経済的関係が要因であった。
近世中期以降、小平市域は江戸への物資の供給地と位置づけられるようになった(第三章第一節)。用水路を利用して精白製粉した穀物や農作物などを江戸へ販売する者も多く存在し、江戸において商人らと取り引きを行っていた。また、幕領であったため、行政や訴訟などでは江戸の代官所や奉行所など関係役所へ、そのつど出向かなくてはならなかった。このように、小平市域での日常生活において、江戸は欠かすことのできない存在であった。そのため、江戸の地理を知らなくては不便を生じ、日々の生活に支障をきたすと考えられていたといえる。村役人や商家をはじめ、江戸とかかわりを持つ家が多かったため、筆子側の学習要求および地域で生活する手習師匠の意識として、基本的な江戸の地理、年中行事などが扱われたのである。
これと関連して、小平市域の特徴として、『商売往来』や『商人問屋往来』といった商業系の往来物が多いことがあげられる。それに対し、『百姓往来』などの農業系の往来物は、他の農村地域と比べて残存状況が少ないといえる。これは、資料が残されている家の事情が大きな要因となっていると考えられるが、小平市域の特徴を示しているといえる。