女子学習のテキストの普及

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つぎに、女子の学習で使用されたテキストについてみることとする。近世後期になると、多くの女子用のテキストが版本として刊行され、庶民の間でも広く利用されるようになった。
 小平市域では、女子用の用文集である『女用文章(おんなようぶんしょう)』(安政三年写)、『女用文章糸車(おんなようぶんしょういとぐるま)』(明和九年刊)、『女古状揃園生竹(おんなこじょうそろえそのうのたけ)』(文政五年刊)、『女用文浜の真砂』(万延二年刊)、女性の心得るべき教訓を記した『女今川』(安政二年刊)、『女庭訓(おんなていきん)』(嘉永三年刊)、『女実語教(おんなじつごきょう)』、『謹身往来』、『女訓孝経(じょくんこうきょう)』(嘉永三年刊)、『女中庸』(文政二年刊)、『女大学栄文庫』(万延二年刊)などの女子用テキストが残されている。

図3-12 「女大学栄文庫」(當麻家古書)

 テキストは、大きく用文集と女訓書の二つに分けることができよう。前者については、近世初期から宝暦期頃までは、女性筆道家の手による女子用の筆手本が多く出版された。これは、筆跡だけでなく、さまざまな作法や使い分けといった書札礼を含むものであった。
 しかし、近世後期になると、しだいに男性の手によるものでありながら「女筆」と称したり、筆跡手本から用文集への推移がみられた。この変化は、実用性の重視や出版物の庶民化と連動するものと考えられる。
 小平市域のものも、近世後期以降に刊行された用文集であり、女性の文章作成能力を身につけるための実用的なテキストであった。
 女訓書の代表的なものとして、一般的に『女大学』と称されるものがある。これは、『女大学宝箱』を起点に、多種の類本を総称したものである。女性の生涯において結婚を一つの重要な到達点とし、その成功のために親が娘に言い聞かせる一九か条を記したものである。その内容は、女性としての道徳、女性に必要な技術、和歌や芸能などの教養を身につけることにあり、基礎をなすのは儒教にもとづく道徳観であった。
 本文は大きな文字で書かれ、漢字には音訓のルビが付されており、読み書きのテキストとなっていた。また、挿絵や頭書などがふんだんに盛り込まれ、気軽に手にとって読める工夫がなされている。そのため、家庭内における独力での読み書き学習を可能とするものであった。
 これらの女訓書は、近世を通じて広く読まれており、女子教育に絶大な効果を持っていたのであった。
 このような女性用の用文集や教訓書以外にも、書名に「女」「婦人」などと付く書物もあり、女子教育用の書物が一ジャンルをなし、広く受容されていたことがわかる。
 また、女性に限られたものとはいえないが、小笠原流作法書、生花、謡曲など諸芸の書物も多くあり、女性の学習・嗜(たしな)みを支えたのであった。