玉川上水堤桜並木の呼称

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玉川上水堤桜並木について記述した地誌や、来訪した江戸の文人らの紀行文には、「金橋桜花(きんきょうおうか)」「金橋の桜(きんきょうのさくら)」「金井橋桜花(かないばしおうか)」「金井橋桜(かないばしさくら)」「小金井橋の桜(こがねいばしのさくら)」「小金井橋の花(こがねいばしのはな)」「小金井の花王(こがねいのかおう)」などの呼称が見られる。つまり、小金井橋(金橋、金井橋)の桜として、江戸の人々には認識されていたのである。小金井橋が取り上げられる理由として、府中街道の要衝に位置していること、桜並木の中間に位置すること、小金井橋の上から観る桜が最も優れていることなどが挙げられている。一方、「土人は千本さくらと称す」とも記されており、この地域の住民には「千本さくら」「千本並木」「武蔵野並木桜」と呼ばれていたことがわかる。ここでの呼称は、基本的に「玉川上水堤桜並木」とし、適宜、「金橋桜花」や「千本さくら」なども使用することとする。