小平市域の村々が編入されたのは、田無村(現西東京市)を寄場とする、田無宿組合である。田無宿組合は四〇か村、現八区市にまたがる(表3-15)。田無宿組合では、田無村名主下田半兵衛(はんべえ)が二代にわたって寄場惣代を勤めた。田無宿組合の様子を示す史料はほとんどないため詳細は分からないが、鈴木新田の鈴木家文書には、寄場惣代下田半兵衛と小惣代(しょうそうだい)の上石神井村(かみしゃくじいむら)名主平蔵(へいぞう)、榎戸新田(えのきどしんでん)名主榎戸源蔵(げんぞう)、小川新田名主弥一郎(やいちろう)が、小組合と思われる鈴木新田・野中新田善左衛門組・野中新田与右衛門組・大沼田新田・柳窪村(現東久留米市)・柳窪新田(やなぎくぼしんでん)(現東久留米市)・の六か村にあてて出した廻状があり、ここから、田無宿組合のようすが垣間みえる(鈴木家文書)。この史料によると、田無宿組合では年に一度、寄場の田無村に集まって組合村全体で負担する費用を計上し、田無宿組合の負担総額を確認している。この年の支出費目は①取締出役や道案内の休息・宿泊費用、②囚人の費用、③囚人のための番人足賃(ばんにんそくちん)・食費、④戸倉新田(とくらしんでん)で浪人を取り押さえた際にかかった費用、⑤圏修復などの費用である。田無宿組合全体での支出総額を確認し、組合全体の村高で割って一石あたりの金額を出し、各村の村高でかけて各村の負担額を計算するのである。この廻状では、この六か村の惣代が各村の分担額を集めて、一一月二五日までに納入するよう、寄場惣代から命じられている(『田無市史』)。
表3-15 田無宿寄場組合構成村 |
村名 | 郡 | 現市町村 | 石高 | 家数 |
田無村 | 多摩郡 | 西東京市 | 1484.644 | 264 |
上保谷村 | 新座郡 | 1339.284 | 257 |
上保谷新田 | 新座郡 | 183.413 | 37 |
下保谷村 | 新座郡 | 864.533 | 113 |
上白子橋戸村 | 多摩郡 | 287.503 | 44 |
大沼田新田 | 多摩郡 | 小平市 | 320.833 | 45 |
野中新田善左衛門組 | 多摩郡 | 369.52 | 50 |
野中新田与右衛門組 | 多摩郡 | 466.877 | 58 |
鈴木新田 | 多摩郡 | 747.452 | 111 |
廻り田新田 | 多摩郡 | 107.484 | 15 |
小川村 | 多摩郡 | 672.464 | 218 |
小川新田 | 多摩郡 | 676.189 | 91 |
清戸下宿 | 多摩郡 | 清瀬市 | 189.7805 | 70 |
下清戸村 | 多摩郡 | 277.268 | 62 |
中清戸村 | 多摩郡 | 288.013 | 57 |
上清戸村 | 多摩郡 | 142.1 | 30 |
梶野新田 | 多摩郡 | 小金井市 | 196.986 | 39 |
関野新田 | 多摩郡 | 202.203 | 44 |
野中新田六左衛門組 | 多摩郡 | 国分寺市 | 306.435 | 45 |
内藤新田 | 多摩郡 | 115.22 | 22 |
榎戸新田 | 多摩郡 | 360.744 | 57 |
戸倉新田 | 多摩郡 | 263.863 | 47 |
柳窪村 | 多摩郡 | 東久留米市 | 102.845 | 42 |
柳窪新田 | 多摩郡 | 137.119 | 17 |
下里村 | 多摩郡 | 501.15 | 51 |
神山村 | 多摩郡 | 224.531 | 23 |
小山村 | 多摩郡 | 380.949 | 46 |
前沢村 | 多摩郡 | 305.968 | 95 |
南沢村 | 多摩郡 | 483.313 | 85 |
門前村 | 多摩郡 | 195 | 18 |
落合村 | 多摩郡 | 150 | 25 |
境村 | 多摩郡 | 武蔵野市 | 497.854 | 123 |
関前村 | 多摩郡 | 434.124 | 76 |
木榑村 | 新座郡 | 練馬区 | 1476.887 | 185 |
田中村 | 豊島郡 | 539.284 | 68 |
谷原村 | 豊島郡 | 861.477 | 103 |
下石神井村 | 豊島郡 | 1160.492 | 157 |
上石神井村 | 豊島郡 | 1359.095 | 173 |
竹下新田 | 豊島郡 | 106.092 | 18 |
関村 | 豊島郡 | 531.042 | 92 |
計 | | | 19310.0305 | 3173 |
大石慎三郎「武蔵国組合村構成について」、宮沢孝至「武蔵国「改革組合村」編成における「通り」と「組合限石高」について」より作成。 |