「国」の登場

721 ~ 723 / 868ページ
たとえ富裕層とはいえ、人びとは、なぜこのような、従来の役負担とは別に課せられる献金に応じて、出金したのだろうか。本来、国を守ることは、武力を独占している武士たちが、その役負担として率先して担当すべき役であり、そのために村人は年貢を支払っているわけである。この年貢や諸役とは異なる形での負担に対し、幕府が持ち出した論理は、「国」である。献金を求めた「仰せ渡されの趣」では、異国船渡来は「国家の大患」であり、そのため莫大な出費がかかるが、江戸内海に台場を建造し、武備を充実させなければいけないとする。そして、この問題について「国家の安危は四民の患」であるとし、海防には武士だけではなく、士農工商で立ち向かわなければならないとする。そのうえで、武士は既に武備に力を注ぐよう命じられており、農工商については、「防禦筋においては四民共に力を尽くし申すべく」と、農工商民も、海防について力を尽くすべきであると説くのである。非常時であることを認識し、二〇〇年間の平和の恩に報いるためにも、献金したいものは、自発的に願い出るように、というのが、献金を募る幕府側の論理である。つまり、日常であれば海防は武士の仕事だが、国家の存亡に関わる非常時であり、国家の存亡は、武士のみではなく四民の災いであるから、四民で力を合わせるべきであり、武士は武備を充実させ、農工商は献金でその意志を示すべきである、というのである。
 これに対し、田無宿組合二〇か村では、「私共においても等閑(なおざり)に心得申すべき筋にはこれ無く」と、海防は自分たちにとっても重要な問題だとしたうえで、「銘々農家の身分外に御用相(あい)達すべく義にも相成り兼ね」と、自分たちは百姓なのでほかに御用を勤めるすべも無いので、ぜひ献金をしたいと応答しているのである。
 この、国家の存亡の危機には身分は関係ないとの論理は、その後さらに、人びとの軍事動員という形へ展開し(農兵・兵賦)、百姓たちは、それぞれの思惑がありつつも、これを受け入れていく(後述)。幕府側にとって、身分を越えて負担を課すことの出来るこの論理は大変都合のよいものであり、また、国民であるなら国のために喜んで負担を負い、兵士にもなるべきであるという、明治期の徴兵制の論理を先取りするものでもあった。一方で、身分制を捉(とら)え返し、その役を遂行できるものがその役に就くべきであるという論理も胚胎(はいたい)した。幕府や武士が充分にその役を果たせず、我々にその役を課すのならば、それを果たせる我々こそが、武士(治者)にふさわしい、というわけである(園田英弘『西洋化の構造』、久留島浩・三野行徳「幕末維新期の武士」)。