以後も官軍御用は途切れなく課せられる。負担は、甲州街道にかかるもののみならず、東海道の官軍や勅使の通行に関わる負担も、小平市域へ及んでいる。しかも、東海道の負担を課してくるのは、ほんの数日前までは幕府代官として支配していた、「官軍(かんぐん)御人馬(じんば)御賄(まかな)い御用掛」「勅使下向(ちょくしげこう)御用」など、官軍の人馬や勅使下向を管轄することとなった、江川太郎左衛門なのである(後述)。
維新政府や旧幕府軍からの負担を一覧にしたのが、表3-19である。負担の内容は、人足、夜着布団、兵糧(ひょうろう)、金銭、火の見櫓(ひのみやぐら)建設など多岐にわたる。
表3-19 小川村の諸負担一覧 | ||||
日付 | 賦課者 | 負担者 | 負担内容 | |
1 | 3/12 | 官軍先鋒高島藩・高遠藩役人 | 小川村ほか | 人足差し出し |
2 | 3/12 | 府中宿の官軍 | 田無村に通達 | 夜着・布団550枚 |
3 | 3/13 | 府中宿(官軍継ぎ立てのため) | 人足差し出し | |
4 | 3/15 | 府中宿(官軍御用急ぎ継ぎ立てのため) | 人足差し出し | |
5 | 3/晦日 | 府中宿(東海道先鋒等多数宿泊のため) | 人足差し出し | |
6 | 4/21 | 府中宿(高遠藩兵宿泊のため) | 人足差し出し | |
7 | 4/23 | 府中宿(肥後藩兵宿泊のため) | 人足差し出し | |
8 | 閏4/16 | 府中宿(尾張藩兵出陣のため) | 人足差し出し | |
9 | 閏4/21 | 武家方2名(八王子から中野へ越す) | 小川村 | 田無村まで継ぎ送り |
10 | 閏4/23 | 仁義隊2番3名(八王子から中野村へ越す) | 小川村 | 田無村まで継ぎ送り |
11 | 閏4/23 | 仁義隊9名 | 小川村 | 吉見屋へ宿泊 |
12 | 5/1 | 府中宿(東海道先鋒等甲府へ出兵のため) | 人足差し出し | |
13 | 5/1 | 仁義隊(中野宝仙寺在陣) | 小川村 | 呼び出し(名主弥次郎出頭) |
14 | 5/2 | 振武軍(田無在陣) | 小川村 | 呼び出し(組頭半蔵出頭) |
15 | 5/6 | 振武軍(田無在陣) | 小川村 | 金50両 |
16 | 5/8 | 振武軍(田無在陣) | 小川村 | 軍用金差し出し督促 |
17 | 5/9 | 振武軍(田無在陣) | 小川村 | 軍用金持参 |
18 | 5/11 | 振武軍(田無在陣) | 小川村 | 軍用金残金督促 |
19 | 5/11 | 振武軍(田無在陣) | 小川村 | 明日通行休息のため300余人分の賄い先触 |
20 | 5/11 | 田無村(振武軍通行のため) | 小川村 | 人足50人、馬10頭取り計らい |
21 | 5/11 | 振武軍(田無から箱根ヶ崎へ向かう) | 小川村 | 小川寺100人、妙法寺90人、吉見屋80人、平右衛門方80人と宿割して休息 |
22 | 5/11 | 振武軍(田無から箱根ヶ崎へ向かう) | 小川新田 | 人足25人 |
23 | 5/12 | 振武軍長大寄隼人ら | 小川村 | 昼休み |
24 | 5/15 | 田無村(振武軍平士2人箱根ヶ崎まで継ぎ立てのため) | 小川村 | 人足5人 |
25 | 5/16 | 振武軍長ら300人 | 小川村 | 朝弁当差し出し |
26 | 5/16 | 千人隊取扱差図役中里大作外1人 | 小川村 | 止宿 |
27 | 5/17 | 田無村(共同隊300人通行のため) | 小川村 | 人足・昼休み用意 |
28 | 5/17 | 彰義隊20人 | 小川村 | 昼休み、継ぎ立て |
29 | 5/18 | 府中宿(広島藩神機隊布田宿泊まりのため) | 小川村 | 人足差し出し |
30 | 5/19 | 府中宿(広島藩神機隊宿泊のため) | 小川村 | 人足差し出し |
31 | 5/20 | 府中宿(広島藩神機隊宿泊のため) | 小川村 | 人足差し出し |
32 | 5/21 | 田無村御用先江川太郎左衛門手代大井田源八郎 | 小川村・ 箱根ヶ崎村 | 5藩およそ400人ほどの兵食その他用意 |
官軍 無色 旧幕府軍 小川村御用留、『御用留内容目録3(小川村 下巻)』解題を参照して作成。 |