官軍の通行と負担

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王政復古によって幕府が廃止されたのちも、小平市域ではそれまで同様、代官による支配が続いていた。慶応四年(一八六八)に入っても、代官江川や関東取締出役(とりしまりでやく)、作事方や普請方など、旧幕府役人がさまざまな触を伝えていた。様相が大きく変わるのは三月に入ってからで、三月一二日、「官軍」の先鋒御用掛(せんぽうごようがかり)として、高遠藩(たかとうはん)内藤家や、高島藩諏訪家(たかしまはんすわけ)の家臣から、維新政府軍の親征のため、人足や夜着布団(ふとん)などを差し出すよう、廻状が廻ってきている。両家は参勤交代の際に甲州街道を利用する大名であることから、甲州街道を攻め上る維新政府軍の先鋒となり、本隊のための道中の整備を行っており、甲州道中に課せられた官軍のための役負担が、小平市域の村々にまで及んでいるのである。
 以後も官軍御用は途切れなく課せられる。負担は、甲州街道にかかるもののみならず、東海道の官軍や勅使の通行に関わる負担も、小平市域へ及んでいる。しかも、東海道の負担を課してくるのは、ほんの数日前までは幕府代官として支配していた、「官軍(かんぐん)御人馬(じんば)御賄(まかな)い御用掛」「勅使下向(ちょくしげこう)御用」など、官軍の人馬や勅使下向を管轄することとなった、江川太郎左衛門なのである(後述)。
 維新政府や旧幕府軍からの負担を一覧にしたのが、表3-19である。負担の内容は、人足、夜着布団、兵糧(ひょうろう)、金銭、火の見櫓(ひのみやぐら)建設など多岐にわたる。
 
表3-19 小川村の諸負担一覧
日付賦課者負担者負担内容
13/12官軍先鋒高島藩・高遠藩役人小川村ほか人足差し出し
23/12府中宿の官軍田無村に通達夜着・布団550枚
33/13府中宿(官軍継ぎ立てのため)人足差し出し
43/15府中宿(官軍御用急ぎ継ぎ立てのため)人足差し出し
53/晦日府中宿(東海道先鋒等多数宿泊のため)人足差し出し
64/21府中宿(高遠藩兵宿泊のため)人足差し出し
74/23府中宿(肥後藩兵宿泊のため)人足差し出し
8閏4/16府中宿(尾張藩兵出陣のため)人足差し出し
9閏4/21武家方2名(八王子から中野へ越す)小川村田無村まで継ぎ送り
10閏4/23仁義隊2番3名(八王子から中野村へ越す)小川村田無村まで継ぎ送り
11閏4/23仁義隊9名小川村吉見屋へ宿泊
125/1府中宿(東海道先鋒等甲府へ出兵のため)人足差し出し
135/1仁義隊(中野宝仙寺在陣)小川村呼び出し(名主弥次郎出頭)
145/2振武軍(田無在陣)小川村呼び出し(組頭半蔵出頭)
155/6振武軍(田無在陣)小川村金50両
165/8振武軍(田無在陣)小川村軍用金差し出し督促
175/9振武軍(田無在陣)小川村軍用金持参
185/11振武軍(田無在陣)小川村軍用金残金督促
195/11振武軍(田無在陣)小川村明日通行休息のため300余人分の賄い先触
205/11田無村(振武軍通行のため)小川村人足50人、馬10頭取り計らい
215/11振武軍(田無から箱根ヶ崎へ向かう)小川村小川寺100人、妙法寺90人、吉見屋80人、平右衛門方80人と宿割して休息
225/11振武軍(田無から箱根ヶ崎へ向かう)小川新田人足25人
235/12振武軍長大寄隼人ら小川村昼休み
245/15田無村(振武軍平士2人箱根ヶ崎まで継ぎ立てのため)小川村人足5人
255/16振武軍長ら300人小川村朝弁当差し出し
265/16千人隊取扱差図役中里大作外1人小川村止宿
275/17田無村(共同隊300人通行のため)小川村人足・昼休み用意
285/17彰義隊20人小川村昼休み、継ぎ立て
295/18府中宿(広島藩神機隊布田宿泊まりのため)小川村人足差し出し
305/19府中宿(広島藩神機隊宿泊のため)小川村人足差し出し
315/20府中宿(広島藩神機隊宿泊のため)小川村人足差し出し
325/21田無村御用先江川太郎左衛門手代大井田源八郎小川村・
箱根ヶ崎村
5藩およそ400人ほどの兵食その他用意
   官軍 無色 旧幕府軍
小川村御用留、『御用留内容目録3(小川村 下巻)』解題を参照して作成。