参考文献・史料

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*本文叙述にあたり、参考とした主な文献を編著者の五〇音順に、主要な典拠史料を年代順に示した。
 
〈全体にかかわるもの〉
木村礎・伊藤好一編『新田村落』(文雅堂銀行研究社、一九六〇年)
木村礎『近世の新田村』(吉川弘文館、一九六四年、新装版一九九五年)
木村礎「新田開発」(『国史大辞典』7、吉川弘文館、一九八六年)
菊地利夫『続・新田開発』(古今書院、一九八六年)
高橋源一郎『武蔵野歴史地理』第三冊(明治書院、一九三〇年)
小平市図書館編『古文書目録』第一集~第一四集(小平市教育委員会、一九七九~一九九二年)
小平市中央図書館編『古文書目録』付編一~四(小平市教育委員会、一九八九~二〇一二年)
小平市中央図書館編『古文書目録』別集一~二(小平市教育委員会、一九八四~一九九二年)
小平市中央図書館編『小平市史料集』第一集~第三〇集(小平市教育委員会、一九九三~二〇〇八年)
小平市中央図書館編『小平の歴史を拓く』(上)・(下)(解題編、小平市教育委員会、二〇〇九年)
小平市史編さん委員会編『小平市史料集』近現代編第一集~第五集(小平市企画政策部、二〇一〇~二〇一二年)
小平町誌編纂委員会編『小平町誌』(小平町、一九五九年)
田無市史編さん委員会編『田無市史』第三巻通史編(田無市、一九九五年)
東村山市史編さん委員会編『東村山市史1』通史編上巻(東村山市、二〇〇二年)
矢嶋仁吉『武蔵野の集落』(古今書院、一九五四年)
蘆田伊人編集・校訂『新編武蔵風土記稿』第七巻(大日本地誌大系一三、雄山閣、一九九六年)
 
はじめに
大石学『享保改革の地域政策』(吉川弘文館、一九九六年)
大石学編『多摩と江戸』(たましん地域文化財団、二〇〇〇年)
大石学『首都江戸の誕生』(角川選書、二〇〇二年)
     *
宝永五年一一月「乍恐以書付御訴詔申上候」(史料集一二、二〇頁)
享保八年五月「乍恐以書付申上候」(史料集一二、五八頁)
安永五年三月「御廻状写留帳」(史料集七、一二頁)
安永五年三月「御廻状写留帳」(史料集七、一二頁)のうち(2)
天保一四年正月「御用留」(史料集七、二八九頁)のうち(14)
天保一四年五月「御用留」(史料集七、三〇三頁)のうち(7)
慶応四年八月「御用留」(史料集六、六頁)のうち(6)
慶応四年正月「御用留」(史料集八、二九九頁)のうち(58)
大正七年「市区町村名ノ沿革」(『小平市史料集』近現代編第五集、四二頁)
 
序章 村ができるまで
 第一節 南北に伸びる道と武蔵野
新井勝紘他編『多摩と甲州道中』(街道の日本史一八、吉川弘文館、二〇〇三年)
小野一之「古代「武蔵野」の展開」(『府中郷土の森紀要』一〇、一九九七年)
貝塚爽平『東京の自然史』(増補第二版、紀伊国屋書店、一九七九年)
加藤有次他編『鈴木遺跡と旧石器時代』(小平市教育委員会・小平市鈴木調査会、一九七六年)
国分寺市教育委員会ふるさと文化財課『見学ガイド 武蔵国分寺のはなし』(国分寺市教育委員会、二〇一〇年)
国分寺市市編さん委員会『国分寺市史』上巻(国分寺市、一九八六年)
古代学協会・古代学研究所東京支所『道路遺構等確認調査報告』(東京都教育委員会、二〇〇〇年)
小平市教育委員会「鈴木遺跡(小平市)」(『多摩のあゆみ』五二、一九八八年)
小平市教育委員会編『鈴木遺跡 解説』(一九九五年)
齋藤慎一『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、二〇一〇年)
田中裕・赤瀬信吾校訂『新古今和歌集』(新日本古典文学大系一一、岩波書店、一九九二年)
たましん歴史・美術館歴史資料室編『多摩のあゆみ』八八(特集「東山道武蔵路」、たましん地域文化財団、一九九七年)
たましん歴史・美術館歴史資料室編『多摩のあゆみ』九二(特集「鎌倉への道」、たましん地域文化財団、一九九八年)
たましん歴史・美術館歴史資料室編『多摩のあゆみ』一〇三(特集「国府・国分寺・東山道」、たましん地域文化財団、二〇〇一年)
中村太一『日本古代国家と計画道路』(吉川弘文館、一九九六年)
中村太一『日本の古代道路を探す』(平凡社新書、二〇〇〇年)
長谷川政春・今西祐一郎他校訂『土佐日記 蜻蛉日記 紫式部日記 更級日記』(新日本古典文学大系二四、岩波書店、一九八九年)
原田幹校訂『江戸名所図会』上(人物往来社、一九六七年)
福田秀一・岩佐美代子他校訂『中世日記紀行集』(新日本古典文学大系五一、岩波書店、一九九〇年)のうち『都のつと』
福田信夫『鎮護国家の大伽藍 武蔵国分寺』(新泉社、二〇〇八年)
府中郷土の森博物館編『古代武蔵国府』(府中郷土の森博物館ブックレット六、二〇〇五年)
府中郷土の森博物館編『武蔵府中と鎌倉街道』(府中郷土の森博物館ブックレット一二、二〇〇九年)
府中市教育委員会生涯学習部学習課文化財担当編『新版 武蔵国府のまち 府中の歴史』(府中市教育委員会、二〇〇六年)
文化庁文化財部監修『月刊 文化財』五六〇(特集「古代道路の意義と保存・活用」、第一法規株式会社、二〇一〇年)
吉田格「小平市立第八小学校校庭内遺跡概報」(『東京史談』菊池山哉先生追悼号、東京史談会、一九六九年)
 
 第二節 変化する武蔵野と丘陵の村
伊藤好一『江戸上水道の歴史』(吉川弘文館、一九九六年)
大石学『首都江戸の誕生』(角川選書、二〇〇二年)
黒田基樹『戦国関東の覇権戦争』(洋泉社歴史新書y、二〇一一年)
齋藤慎一『中世東国の道と城館』(東京大学出版会、二〇一〇年)
東京都教育庁生涯学習部文化課『五日市街道』(歴史の道調査報告書第一集、一九九三年)
東京市役所編『東京市史稿』上水篇第一(臨川書店、一九七五年)
根岸茂夫他編『近世の環境と開発』(思文閣出版、二〇一〇年)
塙保己一編『群書類従』第二〇輯(訂正三版、続群書類従完成会、一九五九年)のうち『鎌倉大草紙』
肥留間博『玉川上水』(伊藤好一監修、たましん地域文化財団、一九九一年)
藤井譲治『天下人の時代』(日本近世の歴史一、吉川弘文館、二〇一一年)
府中郷土の森博物館編『武蔵府中と鎌倉街道』(府中郷土の森博物館ブックレット一二、二〇〇九年)
峰岸純夫・片桐昭彦編『戦国武将・合戦事典』(吉川弘文館、二〇〇五年)
武蔵村山市史編さん委員会編『武蔵村山市史』通史編上巻(武蔵村山市、二〇〇二年)
吉見町史編さん委員会『吉見町史』下巻(木耳社、一九七九年)
     *
寛文八年「武州多摩郡村山郷岸村申之御縄水帳」(武蔵村山市荒田家文書、八)
寛文八年「武州多摩郡山口領岸村申之御縄水帳(下書)」(武蔵村山市荒田家文書、六四八-一)
延享二年一〇月「(岸村絵図)」(武蔵村山市荒田家文書、二四六一)
 
第一章 村ができる
 第一節 ひらかれる小川村
市川健夫「日本における馬と牛の文化」(『漂白と定着』日本歴史民俗文化体系第六巻、小学館、一九八四年)
大石慎三郎『近世村落の構造と家制度』(増補版、御茶の水書房、一九七六年)
大石学編『多摩と江戸』(たましん地域文化財団、二〇〇〇年)
小酒井大悟「馬からみた小川村の開発史」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』二、二〇一〇年)
小酒井大悟「土豪開発新田の空間構成」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』三、二〇一一年)
竹内誠『江戸社会史の研究』(弘文堂、二〇一〇年)
千葉徳爾「馬喰」(『平凡社大百科事典』、一八八五年)
千葉真由美『近世百姓の印と村社会』(岩田書院、二〇一二年)
塚本学「歴史と民俗にみる近世の馬」(『漂白と定着』日本民俗文化体系 第六巻、小学館、一九八四年)
三野行徳「新田開発と武家抱屋敷」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』二、二〇一〇年)
『江藤昌明家文書目録』(東村山市調査資料第六集、東村山市、二〇〇五年)
     *
明暦二年一一月「指上申一札之事」(史料集一二、一五八頁)
明暦二年一二月「指上申一札之事」(史料集一二、一六九頁)
明暦四年二月「相定申一札之事」(史料集一二、一八四頁)
明暦四年二月「指上ケ申一札之事」(史料集一四、三頁)
万治二年三月「拝借金□□事」(史料集一四、六頁)
寛文二年一一月「(名主九郎兵衛非法ニ付訴状)」(史料集一五、二頁)
寛文三年二月「(惣百姓議定証文)」(史料集二、三頁)
寛文三年極月「指上ケ申一札之事」(史料集一四、一六頁)
寛文四年七月「武州山口領小川新田御縄打帳」(小川家文書A-1-1)
寛文九年二月「武州多摩郡山口領小川村新田検地帳」(小川家文書A-1-2)
(延宝二年頃)「小川村地割図」(史料集二六、三五一頁)
延宝四年三月「(村掟請証文)」(史料集二、四頁)
延宝四年八月「乍恐書付を以御訴訟申上候」(史料集一五、一三頁)
延宝四年一〇月「乍恐返答書を以御訴訟申上候御事」(史料集一五、一七頁)
(延宝四年)「(名主百姓出入ニ付双方申口)」(史料集一五、一八頁)
延宝五年七月「差上申連判手形之事」(史料集一五、二四頁)
延宝五年閏一二月「請取申金子□□」(史料集一五、二五頁)
延宝六年三月「乍恐書付を以御訴訟申上候事」(史料集一五、二六頁)
延宝六年一〇月「乍恐以書付を御訴訟申上候御□」(史料集一五、二六頁)
延宝七年一二月「乍憚書付を以御訴訟申上候」(史料集一五、三五頁)
延宝七年一二月「(たまり年貢の件ニ付名主百姓出入訴状)」(史料集一五、三九頁)
延宝七年一二月「乍恐返答書ヲ以御訴訟申上候」(史料集一五、四〇頁)
延宝八年四月「覚」(史料集一五、四七頁)
延宝八年四月「覚」(史料集一五、四七頁)
延宝八年八月「差上ケ申一札之事」(史料集一五、五四頁)
貞享三年閏三月「手形之事」(史料集一五、六〇頁)
貞享三年閏三月「手形之事」(史料集一五、六七頁)
貞享四年九月「馬手形之事」(史料集三〇、四七七頁)
貞享四年一〇月「手形之事」(史料集三〇、四七九頁)
貞享四年一二月「馬手形之事」(史料集三〇、四八〇頁)
貞享四年一二月「差上ケ申馬手形」(史料集三〇、四八一頁)
元禄二年一〇月「巳之御成ケ可割付之事」(史料集一三、六〇頁)
元禄七年六月「差上ケ申一札之事」(史料集一五、一一一頁)
元禄一四年「畑返進申手形之事」(史料集一二、二七〇頁)
宝永元年六月「乍恐書付を以御訴詔申上候」(史料集二八、三頁)
宝永五年五月「乍恐以書付御披露申上候」(史料集一二、一七頁)
正徳元年一二月「村中惣百姓持畑出入改名寄帳」(小川家文書A-2-1)
正徳三年八月「武蔵国多麻郡小川新田村諸色指出帳」(史料集一、一二頁)
享保五年八月「村明細帳」(史料集一、一五頁)
享保六年三月「相渡シ申屋敷畑証文之事」(小川家文書A-5-64)
享保七年一〇月「組割村中連判」(史料集二、二二頁)
享保一六年四月「乍恐以書付奉申上候」(史料集二四、三頁)
享保一九年(寛保三年カ)五月「川崎様江上候控指出帳」(史料集一、二一頁)
元文六年二月「烏帽子名覚」(小川家文書E-7-1)
宝暦一〇年「村差出明細帳」(史料集一、四三頁)
 
 第二節 新たに生まれる村々
  1 将軍吉宗・大岡忠相と新田開発
大石学『享保改革の地域政策』(吉川弘文館、一九九六年)
大石学『大岡忠相』(人物叢書、吉川弘文館、二〇〇六年)
大石久敬『地方凡例録』上・下(近藤出版社、一九八〇・三)
高柳眞三編『御触書寛保集成』(岩波書店、一九八九年)
高柳光寿編『寛政重修諸家譜』(続郡書類従完成会、一九八〇~九二年)
     *
(享保六年)「流地禁止令等御触書」(小川家文書D-6-1)
享保七年九月「御定書之内御書附之趣書抜」(史料集一二、五一頁)のうち(3)
享保一三年二月「覚」(小川家文書D-1-73)
享保一三年二月「覚」(小川家文書H-2-2)
享保一三年四月「唐胡麻作并江戸出雑用銭之儀ニ付廻状」(小川家文書D-1-74)
享保一三年四月「乍恐以書付申上候」(小川家文書H-2-3)
享保一四年二月「唐胡麻作可申□」(小川家文書H-2-5)
享保一八年五月「武蔵国多摩郡小川村見取場検地帳」(小川家文書A-1-14)
享保一八年五月「武蔵国多摩郡小川村見取場内割反別番附地引帳」(小川家文書A-1-15)
享保二一年三月「乍恐以書付奉願上候」(『国分寺史料集(Ⅱ)』、一二二頁)
享保二一年三月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一二、九五頁)
享保二一年三月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一二、九六頁)
享保二一年三月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一四、一三九頁)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡小川新田検地帳」(小川利雄家文書A-1-1・2・3)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡鈴木新田検地帳」(深谷家文書)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡野中新田御検地御水帳」(円成院文書)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡野中新田検地帳 善左衛門組」(市役所引継文書A-1)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡大沼田新田検地帳」(當麻家文書A-1-2)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡廻田村新田検地帳」(斉藤家文書A-1-2)
元文四年八月「覚」(史料集一二、二九頁)
寛保二年八月「差上申一礼之事控」(史料集二一、三三四頁)
(寛保二年)八月「(御薬草御用ニ付御尋之義返答書)」(史料集二一、三三四頁)
延享二年正月「御用留」(史料集三、一頁)のうち(24)(45)
宝暦七~天保一四年『武蔵名所図絵』(『小金井市史』資料編 小金井桜、七八頁)
明和元年一二月「享保以来御高入新田地所御吟味仕出帳…(後略)」(史料集一二、三一頁)
明和九年「御廻状留」(史料集七、一頁)のうち(3)(5)
天明八年『高翁家録』(川崎昌登・昌美家文書、府中市郷土の森博物館寄託)
寛政九年『武蔵八景』(『小金井市史』資料編小金井桜、六〇頁)
(享和三年頃)「(玉川上水起源)」(『小金井市史』資料編小金井桜、一五頁)
文化元年三月『玉花勝覧』(『小金井市史』資料編小金井桜、一一一頁)
文化五年『調布日記』(『小金井市史』資料編小金井桜、一三四頁)
文化六年『向岡間話』(『小金井市史』資料編小金井桜、一三六頁)
文化一〇年『遊歴雑記』(『小金井市史』資料編小金井桜、一四〇頁)
文化一二年『武蔵夜話』(『小金井市史』資料編小金井桜、七五頁)
文化一三年『江戸図解集覧』(『東京市史稿』遊園篇2)
文化一五年『川越松山之記』(『小金井市史』資料編小金井桜、一五五頁)
(文化年間)『武蔵演路』(『小金井市史』資料編小金井桜、七八頁)
文政元年八月「尾州御用御案内方控」(史料集二二、六頁)のうち(88)
文政四~天保一二年『甲子夜話』(『小金井市史』資料編小金井桜、一六〇頁)
文政八年『東都近郊図』(『小金井市史』資料編小金井桜、八〇頁)
文政一〇年『桑都日記』(『小金井市史』資料編小金井桜、八六頁)
文政一〇年『江戸名所花暦』(『小金井市史』資料編小金井桜、八一頁)
文政一二年『江戸名所図会』(『小金井市史』資料編小金井桜、八八頁)
文政一三年閏八月「(玉川上水縁桜植立絵図)」(川崎昌登・昌美家文書、府中市郷土の森博物館寄託)
天保六年八月「菜種御買揚割合小前帳」(斉藤家文書H-2-3)
天保九年『東都歳時記』(『小金井市史』資料編小金井桜、九一頁)
弘化二年正月「御用留」(史料集七、三二五頁)のうち(6)
弘化二年三月「玉川上水桜並木取締に付き請書」(『小金井市史』資料編小金井桜、二八頁)
弘化二年「御代官川崎平右衛門発起書」(新宿比留間家文書、府中市郷土の森博物館寄託)
弘化三年『江都近郊名勝一覧』(『小金井市史』資料編小金井桜、九二頁)
嘉永五年二月「桜木世話に付き廻状」(『小金井市史』資料編小金井桜、三七頁)
嘉永七年四月「玉川上水縁芝野銭半減にて年季継続願書」(『小金井市史』資料編小金井桜、三八頁)
安政二年八月『金橋桜植添』(『東京市史稿』上水篇)
安政二年八月「金橋桜植添申上」(『小金井市史』資料編小金井桜、四二頁)
安政三年三月「御上桜諸入用四ヶ村割合帳」(『小金井市誌』Ⅲ資料編 三四九頁)
慶応元年四月以降「大江因幡之助広元 坂東亀蔵」(早稲田大学演劇博物館所蔵、作品番号一〇〇-七三五七)
(年未詳)「武蔵国多摩郡廻り田新田内割小前番附地引帳」(東村山市小町家文書)
(年未詳)「武蔵国新田御検地ニ付村より差出候証文写」(東村山市小町家文書)
(年未詳)「反別帳之写」(『国分寺史料集(Ⅱ))』、一九二頁)
(年未詳)「大検地武蔵野仕用帳控」(『国分寺史料集(Ⅱ)』、二〇五頁)
 
  2 小川新田
天和三年八月「武蔵国多摩郡山口領小川新田村新畑改帳」(小川家文書A-1-10)
元禄一五年一一月「乍恐書付ヲ以御訴訟申上候御事」(史料集一二、一四頁)
宝永五年一一月「乍恐以書付御訴訟申上候」(史料集一二、一九頁)
(正徳六年)閏二月「口上」(史料集一二、二三頁)
享保七年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一二、五七頁)
享保八年五月「乍恐以書付申上候」(史料集一二、五八頁)
享保八年五月「(御新田開発触書請状)」(史料集一二、五一頁)
享保九年五月「武蔵野開発反別割渡之事」(史料集一三、三一七頁)
享保九年五月「武蔵野開発反別割渡之事」(史料集一三、三一八頁)
享保一三年一一月「未定年貢皆済之事」(史料集一三、三一八頁)
享保一四年二月「屋守手形之事」(史料集一二、三三五頁)
享保一四年□月「小川新田出百姓書上」(史料集一二、三四一頁)
(享保一五年)一一月「小川新田出百姓書上」(史料集一二、三四四頁)
享保一六年五月「御開発地百姓持分名寄帳」(小川家文書A-1-2)
享保一八年一二月「証文之事」(史料集一二、三四七頁)
享保一九年三月「証文之事」(史料集一二、三四九頁)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡小川村新田検地帳(上水向・上水内)」(小川利雄家文書A-1)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡小川村新田検地帳(宿割北側)」(小川利雄家文書A-2)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡小川村新田検地帳(南新田・榎尻・中平)」(小川利雄家文書A-3)
元文四年九月「南北武蔵野出百姓草分書出帳」(史料集一二、八三頁)
(元文四年)八月「覚(武蔵野持添新田場小川新田高反別書上)」(史料集一二、二九頁)
寛保三年一〇月「(土地屋敷返進譲渡証文)」(小川利雄家文書A-4)
宝暦九年四月「村鑑帳」(史料集一、八六頁)
明治一一年八月「以書付奉願上候」(史料集二三、八九頁)
(年未詳)「御定書之内御書附之趣書抜」(史料集一二、五一頁)
  3 鈴木新田
小金井市誌編さん委員会編『小金井市誌』Ⅱ歴史編(小金井市役所、一九七〇年)
小金井市誌編さん委員会編『小金井市誌』Ⅴ地名編(小金井市、一九七八年)
高柳眞三・石井良助編『御触書寛保集成』(岩波書店、一九八九年)
『天保郷帳』(内閣文庫所蔵史籍叢刊五五、汲古書院、一九八四年)
『東京都の地名』(日本歴史地名大系13、平凡社、二〇〇二年)
     *
正徳二年一二月「乍恐書付を以奉願上候」(鈴木家文書L-1-1)
享保五年一〇月「入置申証文之事」(史料集一二、七五頁)
享保六年八月「相渡申証文之事」(史料集一二、七六頁)
享保六年九月「乍恐口上書を以奉願上候」(史料集一二、七七頁)
享保六年一一月「乍恐口上書を以奉願上候」(史料集一二、七八頁)
享保七年四月「乍恐口上書を以奉願上候」(史料集一二、七九頁)
享保七年八月「乍恐口上書を以奉願上候」(史料集一二、八〇頁)
享保七年一〇月「武蔵野新田儀諚書并願書諸証文之控」(史料集一二、九七頁)のうち(10)
享保八年一〇年「覚」(史料集一二、八一頁)
享保九年五月「武蔵野開発反別割渡之事」(史料集一三、三三〇頁)
享保九年五月「武蔵野開発反別割渡之事」(史料集一三、三三一頁)
享保一〇年三月「武蔵野新御新田地仲ヶ間割渡証文之事」(史料集一二、八二頁)
享保一〇年一〇月「譲り渡シ申開発地証文之事」(深谷家文書)
享保一一年八月「覚」(史料集一八、一四二頁)
享保一一年一二月「覚」(深谷家文書)
享保一二年一二月「覚」(深谷家文書)
享保一五年五月「一札之事」(史料集一六、一九八頁)
享保一五年六月「差上申口上書之事」(史料集一三、三三二頁)
享保一八年二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一二、九一頁)
享保二〇年九月(家作料等之儀ニ付名主与右衛門御吟願)(史料集一六、一九九頁)
享保二〇年一〇月「乍恐以書付奉申上候」(史料集一二、九四頁)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡鈴木新田検地帳」(深谷家文書)
元文二年九月「落着申済口証文之事」(史料集一六、二三九頁)
元文三年一月「名寄帳」(深谷家文書)
元文四年九月「南北武蔵野出百姓草分書出帳」(史料集一二、八三頁)
宝暦一一年九月「出百姓国郡村名覚帳」(深谷家文書)
宝暦一一年一二月「覚」(増田家文書三五九)
安永三年三月「(村鑑帳)」(史料集一、一二五頁)
嘉永三年八月「村差出明細書上帳」(史料集一、一三一頁)
亥(寛保三年)三月「乍恐以書付御願申上候」(深谷家文書)
亥(寛保三年)一二月「乍恐以書付御願申上候」(深谷家文書)
子(寛保四年)正月「乍恐以書付御願申上候」(深谷家文書)
  4 野中新田
国立市史編さん委員会編『国立市史』中巻(国立市、一九八九年)
くにたち郷土文化館編『江戸近郊の鋳物師』(くにたち郷土文化館企画展図録、、二〇〇〇年)
関頑亭「大堅和尚の遺偈」(『くにたち自然と文化を守る会会報』三、一九九二年)
東庄町史編さん委員会編『東庄町史』上巻(東庄町編さん委員会、一九八二年)
     *
享保七年一〇月「謹奉願状」(史料集一二、八六頁)
享保七年一〇月「武蔵野新田儀諚書并願書諸証文之控」(史料集一二、九七頁)のうち(1)(2)(6)(8)(9)(10)(11)
享保七年一〇月「仲間証文之事」(史料集一二、八七頁)
享保七年一二月「一札之事」(史料集一二、八八頁)
享保八年六月「証文之事」(史料集一二、八八・一〇〇・一〇一頁)
享保八年六月「入置申一札之事」(史料集一二、八九頁)
享保九年五月「武蔵野開発反別割渡之事」(史料集一三、三三〇頁)
享保一一年一一月「(円成院ならびに稲荷社・観音堂絵図差上控)」(国立市矢沢家文書)
享保一一年一一月「(円成院境内間数改絵図書付)」(史料集一二、九〇頁)
享保一八年二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一二、九一頁)
享保二〇年九月「(鈴木新田百姓、野中新田名主組頭出入訴状)」(史料集一六、一九九頁)
享保二〇年一〇月「乍恐以書付奉申上候」(史料集一六、二〇四頁)
享保二一年三月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一二、九五頁)
辰(元文元年)一一月「覚」(史料集一二、九七頁)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡野中新田検地帳」(市役所引継文書A1)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡野中新田御検地御水帳写」(円成院文書A-1-1)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡野中新田検地帳」(『国分寺市史料集(Ⅱ)』、一二三頁)
元文二年四月「乍恐以書付御訴訟申上候」(史料集一八、一四五頁)
延享二年五月「丑ノ五月十二日之御願下書」(史料集一八、一四六頁)
宝暦四年四月「譲渡申開発場証文之事」(野中家文書A-5-3)
宝暦五年四月「一札之事」(野中家文書A-5-4)
安永五年一二月「差出シ申一札之事」(野中家文書A-5-6)
天保九年「天保国絵図武蔵国」(国立公文書館所蔵)
天保一二年正月「議定一札之事」(小川利雄家文書G7)
安政四年七月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一四八頁)
明治八年七月「田畑其他反別取調野帳」(市役所引継文書A5・6)
明治八年七月「田畑其他反別取調野帳」(市役所引継文書A7、中島家文書A-1-2・3)
  5 大沼田新田
小峰孝男「南武蔵野の新田開発」(『東村山市史研究』一〇、二〇〇一年)
千葉真由美「新田村の村役人」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』三、二〇一一年)
『當麻勉家文書目録』(東村山市史調査資料第一集、東村山市、一九九三年)
     *
享保九年五月「譲証文之事」(『東村山市史』8資料編近世2、三八四頁)
享保九年六月「請取申金子之事」(『東村山市史』8資料編近世2、三八四頁)
享保一一年五月「売渡申新田地証文之事」(當麻家文書A-5-1)
享保一一年七月「売渡シ申新田手形之事」(『東村山市史』8資料編近世2、三八五頁)
享保一二年四月「売渡シ申新田之事」(『東村山市史』8資料編近世2、三八六頁)
享保二一年三月「武蔵国多摩郡大岱村新田検地野帳」(當麻家文書A-1-1)
享保二一年三月「(大岱新田地割絵図)」(『當麻勉家文書目録』口絵)
享保二一年三月「(村絵図)」(當麻家文書V1)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡大沼田新田検地帳」(當麻家文書A-1-2)
寛保二年一一月「乍恐以書付御願申上候」(史料集一八、一五一頁)
寛保二年一二月「乍恐以書付御願申上候」(史料集一八、一五二頁)
寛保三年「入置申証文之事」(史料集一八、一五四頁)
寛延三年一一月「証文」(史料集一八、一六三頁)
宝暦三年五月「武蔵国多摩郡大沼田新田村鑑」(史料集一、九〇頁)
宝暦一一年九月「武蔵野新田出百姓之訳書上帳」(史料集一二、一一五頁)
宝暦一一年一〇月「乍恐以書付奉願上候」(当麻伝兵衛家文書A-9-1)
宝暦一一年一一月「南武蔵野久米川新田作右衛門分譲請願書控」(当麻伝兵衛家文書A-9-2)
明和四年五月「乍恐以書付御訴詔申上候」(当麻伝兵衛家文書A-9-3)
明和四年六月「一札之事」(当麻伝兵衛家文書A-9-7)
明和六年正月「証文」(史料集一八、一六五頁)
明和九年一〇月「差上申一札之事」(当麻伝兵衛家文書K-4-1)
安永七年正月「一札之事」(『東村山市史』8資料編近世2、三〇四頁)
天明五年三月「差上申済口証文之事」(当麻伝兵衛家文書J-2-8)
寛政一一年一二月「村中様子品々書上帳」(史料集一、九九頁)
文政四年六月「村差出明細帳」(史料集一、一〇四頁)
天保一〇年「丸屋重兵衛請地所筆分」(當麻家文書A-5-54)
天保一四年閏九月「(絵図)」(当麻伝兵衛家文書A-9-15)
弘化四年二月「乍恐以書付奉申上候」(史料集二六、六六頁)
嘉永元年一二月「議定証文之事」(当麻伝兵衛家文書A-5-51)
嘉永二年一〇月「相渡申質流地証文之事」(当麻伝兵衛家文書A-5-54)
嘉永三年一一月「一札之事」(当麻伝兵衛家文書A-5-55)
嘉永四年二月「為取替一札之事」(当麻伝兵衛家文書A-9-17)
嘉永四年一〇月「為替一札之事」(当麻伝兵衛家文書A-9-18)
(年不詳)「覚」(『東村山市史』8資料編近世2、四一二頁)
 
  6 廻り田新田
小川紀子「武州多摩郡廻り田新田の家族構成」(『学習院大学史料館紀要』一、一九八三年)
国分寺市史編纂委員会編『国分寺市史料集(Ⅱ)』(国分寺市、一九八二年)
三野行徳「新田開発と武家抱屋敷」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』二、二〇一〇)
     *
享保八年六月「乍恐以書付御訴訟申上候」(『所沢市史』近世史料1、二三四頁)
享保九年五月「惣百姓連判を以奉願候」(『東村山市史』8資料編近世2、四四九頁)
享保一〇年一〇月「乍恐以口上書奉願候」(『東村山市史』8資料編近世2、四四九頁)
享保一〇年一〇月「北武蔵野願一切望無之連判之事」(『東村山市史』8資料編近世2、四五一頁)
享保一一年四月「相渡シ申開発場証文之事」(『東村山市史』8資料編近世2、四五二頁)
享保一一年「御犬捉飼御猪狩之節勢子人足差出候村々石高」(史料集二一、三二五頁)
享保一二年四月「譲り渡申開発場証文之事」(『東村山市史』8資料編近世2、四五二頁)
享保一四年六月「取替証文之事」(東村山市小町家文書C租税その他26)
享保一四年一一月「相渡シ開発場譲地証文」(『東村山市史』8資料編近世2、四五三頁)
寛保元年三月「相渡申開発場証文之事」(斉藤家文書A-5-1)
延享三年一月「武蔵国多摩郡廻り田新田指出シ帳」(東村山市小町家文書B土地38)
寛延二年七月「(宗旨人別帳)」(東村山市小町家文書F廻り田新田1)
寛延二年「武蔵野領之内廻り田新田出百姓」(東村山市小町家文書B土地36)
宝暦五年三月「廻り田新田宗旨人別帳」(東村山市小町家文書F廻り田新田3)
宝暦八年三月「宗旨人別帳」(東村山市小町家文書F廻り田新田4)
宝暦九年「村鑑帳」(東村山市小町家文書E村方帳簿13)
宝暦一一年三月「廻り田新田開発由来」(史料集一二、一二五頁)
宝暦一一年「出百姓年数覚」(史料集一二、一二三頁)
宝暦一四年三月「宗旨人別帳」(東村山市小町家文書F廻り田新田6)
明和二年一〇月「差上申一札之事」(『東村山市史』8資料編近世2、二六八頁)
明和四年一〇月「一札之事」(『東村山市史』8資料編近世2、四六八頁)
明和五年一〇月「乍恐以書付奉願上候」(『東村山市史』8資料編近世2、二六八頁)
明和七年一二月「玉川上水松並木入札改帳」(史料集一九、二三七頁)
文政五年三月「村議定惣連印帳」(史料集二、八二頁)
文政一〇年九月「農間商ひ諸職人改書上帳」(史料集一九、二四七頁)
天保一三年二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一九、二五四頁)
文久三年二月「(廻り田新田村絵図)」(斉藤家文書V-6)
明治七年「第拾壱大区九小区回田新田全図」(斉藤家文書V9)
 
  7 新田開発と寺社
大石学『享保の改革の地域政策』(吉川弘文館、一九八六年)
靱谷嘉史「近世武州御嶽山の神社と神職」(『多摩のあゆみ』一四五、二〇一二年)
神谷智「『近世村落史料学』を考える」(『歴史評論』七三一、二〇一一年)
河原英俊「武蔵国野中円成院の歴史と文化財」(『黄檗文華』一二三、二〇〇四年)
菅野洋介「武蔵野新田の成立と寺院創出」(『史潮』六八、二〇一〇年)
小峰孝男「享保期武蔵野新田における離檀と引寺」(『東村山市史研究』一一、二〇〇二年)
佐藤孝之『駆込寺と村社会』(吉川弘文館、二〇〇六年)
千葉真由美「新田村の村役人」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』三、二〇一一年)
朴澤直秀『幕藩権力と寺檀制度』(吉川弘文館、二〇〇四年)
森安彦「近世多摩の新田開発と寺社」(『中央史学』二六、二〇〇三年)
     *
明暦二年一一月「指上申一札之事」(史料集一二、一五三頁)
寛文四年三月「着(差ヵ)上申一札之事」(史料集一二、二一四頁)
寛文一〇年一月「着(差ヵ)上申一札之事」(史料集一二、二三一頁)
天和四年三月「手形之事」(史料集一二、九頁)
元禄一四年五月「手形之事」(史料集一四、七七頁)
元禄四年九月「(妙法寺名主出入御裁許之次第覚)」(史料集一四、六八頁)のうち(3)
享保二一年三月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一四、九一頁)
享保七年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一二、五七頁)
享保七年一〇月「謹奉願状」ほか(史料集一二、八六~九五頁)
享保一一年九月「乍恐以口上書奉願上候」ほか(史料集一四、一七二頁~一七五頁)
享保一九年一二月「取替申証文之事」(史料集一四、一七四頁)
元文四年二月「箱ニ入置候証文之目録」(史料集一四、一七九頁)
寛保四年二月「泉蔵院引寺証文」(史料集一四、二二二頁)
延享二年正月「証文之事」(史料集一四、二四〇頁)
寛延四年一〇月「交代覚帖」(史料集一四、一八二頁)
宝暦二年二月「武州多摩郡大沼田新田泉蔵院開基旦頭牌号之事」(史料集一四、二六一頁)
宝暦一二年一〇月「多摩郡大沼田新田之先年泉蔵院引寺仕候節之義委細御尋ニ付左ニ申上候」(史料集一四、二六七頁)
宝暦一三年三月「円成院常住書籍目録」(円成院文書F-3-7)
宝暦一四年二月「当間山泉蔵寺宝池院由緒略記」(史料集一四、二六八頁)
宝暦一四年三月「覚」(史料集一四、九五頁)
天明六年正月「稲荷木寄覚」(史料集一四、二七〇頁)
享和二年六月「(熊野宮祠官神主許状)」(史料集一四、一四一頁)
文化一一年正月「受領官位入用村中氏子寄進覚記」(宮崎家〈神明宮〉文書F6)
文政四年五月「村差出明細書上帳」(史料集一、五八頁)
文政五年閏一二月「新田開発一件」(史料集一四、一六〇頁)
文政一〇年七月「乍恐以書付御訴奉申上候」(史料集一四、一〇三頁)
文政一二年二月「奉上棟熊野三社大権現御本社再建成就之修」(史料集一四、一四一頁)
安政五年五月「(社職格式着風裁許状)」(史料集一四、一四六頁)
文久元年九月「(稲荷大明神神号許状)」(史料集一四、一四八頁)
享和二年二月「(神道裁許状)」(宮崎家〈熊野宮〉文書)
 
 第三節 支配する人たち
大石学『享保改革の地域政策』(吉川弘文館、一九九六年)
大石学『吉宗と享保の改革』(改訂新版、東京堂出版、二〇〇一年)
大石学『大岡忠相』(吉川弘文館、二〇〇六年)
太田尚宏『幕府代官伊奈氏と江戸周辺地域』(岩田書院、二〇一〇年)
大友一雄「武蔵野新田支配政策の特質」(『徳川林政史研究所研究紀要』昭和五六年度、一九八一年)
大友一雄「新田開発と民衆意識」(地方史研究協議会編『「開発」と地域民衆』、雄山閣出版、一九九一年)
大友一雄「南北武蔵野新田養料金始末書」(『徳川林政史研究所研究紀要』二七、徳川林政史研究所、一九九三年)
小川恭一『寛政譜以降旗本家百科事典』第一巻~第六巻(原書房、一九九七~一九九八年)
菅野洋介「近世僧侶像と村社会」(『駒沢史学』七六、二〇一一年)
久留島浩編『支配をささえる人々』(吉川弘文館、二〇〇〇年)
久留島浩『近世幕領の行政と組合村』(東京大学出版会、二〇〇二年)
国分寺市史編纂委員会編『国分寺市史』中巻(国分寺市、一九九〇年)
埼玉県編『埼玉県史』通史編4近世2(埼玉県、一九九一年)
高橋敏『韮山代官江川家と地方支配』(岩田書院、二〇一一年)
高柳光寿編『寛政重修諸家系譜』一~二二(続群書類従完成会、一九八〇~一九八一年)
竹内誠『寛政改革の研究』(吉川弘文館、二〇〇九年)
辻達也『享保改革の研究』(創文社、一九八一年)
東京市編『東京市史稿』市街編第一〇巻(東京市、一九三一年)
東京大学史料編纂所編纂『復古記 第6冊』(東京大学出版会、一九七四年)
仲田正之『江川坦庵』(吉川弘文館、一九八五年)
永山卯三郎『早川代官』(自費出版、一九七一年)
韮山町史編さん委員会編『韮山町史』第六巻上・下(韮山町史刊行委員会、一九九二・一九九四年)
西沢淳男『幕領陣屋と代官支配』(岩田書院、一九九八年)
西沢淳男『江戸幕府代官履歴辞典』(岩田書院、二〇〇一年)
西沢淳男『代官の日常生活』(講談社、二〇〇四年)
府中市郷土の森博物館編『代官 川崎平右衛門』(府中市共同の森博物館、二〇〇九年)
三野行徳「幕府代官所における公文書行政とその継続的経営」(大石学編『近世国家・社会と公文書』、岩田書院、二〇〇六年)
村上直「関東幕領における八王子代官」(『日本歴史』一六八、一九六二年)
村上直編『県令集覧』(吉川弘文館、一九七五年)
村上直『江戸幕府の代官群像』(同成社、一九九七年)
渡辺紀彦『代官川崎平右衛門の事績』(つばさ企画、一九八八年)
     *
寛文二年一一月「一札之事」(史料集一五、二頁)
寛文四年 「武州山口領小川新田御縄打帳」(小川家文書A-1-1)
延宝四年八月「乍恐書付を以御訴訟申上候」(史料集一五、一三頁)
天和二年一二月「乍恐以書付御訴訟申上候御事」(小川家文書C-6-3)
元禄五年一二月「御触之覚」(小川家文書D-1-21)
元禄七年五月「(生類憐れみの令触書請状)」(小川家文書D-1-26)
元禄七年「(捨馬禁止の触書請書)」(小川家文書D-1-27)
元禄一七年「覚」(小川家文書D-1-47)
宝永五年一一月「乍恐以書付御訴訟申上候」(史料集一二、二〇頁)
享保七年八月「覚」(史料集一八、一〇三頁)
享保八年五月「乍恐以書付申上候」(史料集一二、五八頁)
(享保年間)「酒井家記録」(大野瑞男「延享期の幕府財政史料」、『史学雑誌』八九-七、一九八〇年)
寛延二年五月「(川崎平右衛門様御支配所替の件御猶予願)」(史料集一八、一五六頁)
宝暦一四年「覚」(史料集一四、九五頁)
慶応四年正月「御用留」(史料集八、二九九頁)
「よしの冊子 一一」(森銑三編『随筆百花苑』第九巻、中央公論社)
 
 第四節 鷹場にくらす
大石学『享保改革の地域政策』(吉川弘文館、一九九六年)
木村礎「『鷹場預り』についての覚書」(『駿河台日本史』六、一九五五年)
立川市史編纂委員会編『立川市史』下巻(立川市、一九六九年)
千葉元義「尾州藩鷹場の支配」(東北大学文学部国史研究室国史談話会『国史談話会雑誌』二二、一九八一年)
前田京子「尾州家鷹場の一考察」(志木市立郷土研究会『郷土志木』一一、一九八二年)
槙本晶子「尾張藩の鷹場について」(多摩文化資料室『多摩のあゆみ』五〇、一九八八年)
瑞穂町史編さん委員会編『瑞穂町史』(瑞穂町、一九七四年)
     *
寛永一〇年二月一三日条(『徳川実紀』第二篇)
延宝七年九月「指上ケ申御鷹場御法度一札之事」(史料集二一、四五頁)
元禄六年一〇月一五日条(『徳川実紀』第六篇)
享保二年六月「覚」(史料集二一、三一二頁)
享保二年六月「覚」(史料集二一、三一四頁)
享保二年七月「覚」(史料集二一、三一五頁)
享保二年一二月「(御鷹場御預りの心得請書)」(史料集二一、一九七頁)
享保二年一二月「(御鷹場法度請証文)」(史料集二一、五五頁)
享保三年五月一五日条(『徳川実紀』第八篇)
享保四年正月「乍恐以書付御訴訟申上候」(史料集二一、一九八頁)
享保五年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二一、三二一頁)
享保六年七月「定」(史料集二一、一九九頁)
享保六年一〇月「指上申一札之事」(史料集二一、三二四頁)
享保七年一一月「(御鷹餌指町人共請負ニ付触書請書)」(史料集二一、一九九頁)
享保七年一二月「寅村入用立合改小前帳」(史料集二九、五頁)
寛延三年一〇月「乍恐以書付を奉願上候」(史料集二一、三三六頁)
宝暦三年八月「尾州様御鷹場御定杭場所書上帳」(史料集二一、二頁)のうち(9)(22)(28)(29)(37)(41)(227)
宝暦三年一〇月「御用留」(史料集三、五五頁)のうち(29)
宝暦七年正月「御廻状留帳」(史料集三、九九頁)のうち(5)(6)(53)
宝暦九年閏七月「乍恐以書付御訴訟申上候」(史料集二一、二〇一頁)
宝暦一一年一〇月「差上申一札之事」(史料集二一、二〇一頁)
明和元申年閏一二月「御鷹場御法度御請書」(史料集二一、七二頁)
明和五年一〇月「乍恐以書付御願申上候事」(史料集二二、三五七頁)
安永六年五月「御鷹場御案内役跡役願」(史料集二一、二〇二頁)のうち二〇三頁
安永六年五月「御鷹場御案内役跡役願」(史料集二一、二〇二頁)
安永八年二月「乍恐以書付御訴詔申上候」(史料集二一、二〇二頁)
安永八年二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二一、二〇五頁)
安永九年五月「御用留」(史料集三、一四五頁)のうち(4)
安永九年五月「御鷹場御預村々書上帳」(史料集二一、二四五頁)
天明元年六月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二一、二〇五頁)
天明二年一〇月「御用留」(史料集三、一六一頁)のうち(26)
天明二年一一月「尾州様御鷹御用御伝馬夫人足改帳」(史料集二一、三三八頁)
天明四年正月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二一、二〇六頁)
天明四年閏正月「乍恐以書付奉願上候」(史料二一、三四二頁)
天明六年八月「覚」(史料集二一、二〇七頁)
天明六年九月「御請書」(史料集二一、三四七頁)
(寛政五年)「(御用留)」(史料集三、二六三頁)のうち(33)(34)
寛政六年五月「今度鳥見方之義御鷹場見廻り役と役名相改候ニ付」(『国分寺市史料集(Ⅰ)』、一七二頁)
寛政六年七月「小川東吾御預り村々請調書」(史料集二一、二六二頁)
寛政六年九月「御用留」(史料集三、二七八頁)のうち(6)(12)(16)
享和元年「酉年村入用帳」(史料集二九、一九二頁)
文化三年一〇月「御用留」(史料集三、三九五頁)のうち(32)(33)(44)
文化四年正月「御預村々請印帳」(史料集二一、二七一頁)
(文化六年五月)「御鷹場御用留帳」(史料集二二、三頁)のうち(2)(4)
文化七年七月「以書付奉願候」(史料集二一、二一三頁)
文化一一年一二月「以書付奉願候」(史料集二一、二一五頁)
(文化一三年)「(御用留)」(史料集七、一一八頁)のうち(3)
文政元年八月「尾州御用御案内方控」(史料集二二、六頁)の(6)(27)(28)(35)(63)(88)(97)
天保六年三月「去午年村入用夫銭書上帳」(史料集二九、三五一頁)
天保九年正月「差上申御鷹場御法度証文之事」(史料集二一、一三一頁)
天保九年七月「尾州御用留」(史料集二二、四八頁)のうち(9)(11)(14)(16)(21)(23)(44)(47)(49)(50)(52)
天保一〇年正月「御鷹場御法度証文」(史料集二一、一三五頁)
天保一二年七月「村高御代官領主地頭性名御調ニ付書上帳」(史料集二一、二七七頁)
天保一二年七月「去子年中御鷹御用人馬差出員数書上帳」(史料集二一、二七七頁)
天保一二年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二二、二〇五頁)
天保一二年一一月「尾州御用留」(史料集二二、七一頁)のうち(1)(6)(7)(8)(10)(13)(23)(33)(35)
天保一三年四月「御用留」(史料集七、二八〇頁)のうち(9)
天保一三年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二二、二〇六頁)
天保一五年正月「御用留」(史料集七、三一五頁)のうち(4)
弘化二年正月「御用留」(史料集七、三二五頁)のうち(6)
弘化三年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二二、二二三頁)
弘化四年九月「乍恐以書付ヲ奉願上候」(史料集二二、二三二頁)
嘉永元年一二月「御鷹場御預り村々割合帳」(史料集二一、二八八頁)
嘉永二年正月「御鷹場内水車稼人連印帳」(史料集二一、一六〇頁)
(嘉永三~七年)「嘉永三~七年御鷹場御預役書上」(徳川林政史研究所蔵)
嘉永六年二月「去子村入用書上帳」(史料集二九、一六七頁)
慶応三年正月「諸御用向控帳」(小川家文書D-6-106)
慶応三年六月「御触并御受書控」(史料集八、二九八頁)のうち(2)
(年未詳)「手続書」(徳川林政史研究所所蔵)
(年未詳)「御尋ニ付書付をもって申上候」(史料集二一、二二七頁)
(年未詳)「御尋由来ニ付以書付申上候」(史料集二一、二二七頁)
(年未詳)「諸鑑札雛形」(當麻家文書M-9-17)
(年未詳)「乍恐以書付奉願上候」(史料集二一、二三一頁)
(年未詳)「御鷹場御案内役増員等取締向ニ付訴状」(史料集二一、二三三頁)
(年未詳)「御鷹場役人不都合之義ニ付訴状」(史料集二一、二三四頁)
(年未詳)「御鷹場御案内由緒書記」(史料集二一、二三六頁)
『徳川禁令考』(前集第三、第一五九三号)
『名古屋叢書三篇第二巻・尾藩世紀・上』(三一四・三三六頁)
 
第二章 村がなりたつ
 第一節 村をまとめる
伊藤好一「幕末期における鈴木新田の村入用」(『小平郷土研究会会報』二、一九六四年)
児玉幸多『近世農民生活史』(新稿版、吉川弘文館、一九五七年)
日本古文書学会編『日本古文書学論集』12近世2近世の地方・町方文書(吉川弘文館、一九八七年)
服藤弘司「高札」「高札場」(『国史大辞典』5、吉川弘文館、一九八五年)
森安彦「五人組」「五人組帳」(『国史大辞典』5、吉川弘文館、一九八五年)
渡辺尚志『江戸時代の村人たち』(山川出版社、一九九七年)
渡辺尚志『村からみた近世』(校倉書房、二〇一〇年)
大石慎三郎校訂『地方凡例録』下巻(近藤出版社、一九六九年)
     *
正徳二年一二月「差上ヶ申一札之事」(史料集一八、一〇二頁)
正徳三年八月「武蔵国多麻郡小川新田村諸色指出帳」(史料集一、一二頁)
正徳五年正月「相定申村中連判手形事」(史料集二、一五頁)
享保一九年五月「指出帳」(史料集一、二一頁)
享保二一年二月「(村掟連判手形)」(史料集二、二五頁)
享保二一年三月「大岱新田地割絵図」(東村山市當麻勉家文書)
延享二年「一札之事」(史料集一八、一〇六頁)
延享二年「乍恐以書付御訴申上候」(史料集一八、一〇七頁)
宝暦四年四月「差上申済口証文之事」(史料集一六、二四二頁)
宝暦四年一一月「村柄様子明細書」(史料集一、三五頁)
宝暦六年一〇月「(村明細帳)」(史料集一、九三頁)
宝暦七年八月「差上申済口証文之事」(史料集一六、二四三頁)
宝暦一〇年「村差出明細帳」(史料集一、四三頁)
宝暦一一年三月「武蔵国多摩郡小川村五人組御仕置帳」(小川家文書B-1-5)
宝暦一一年九月「出百姓国郡村名覚帳」(深谷家文書)
明和六年一〇月「申渡候連判之事」(史料集二、六八頁)
明和七年八月「御高札御願下書」(斉藤家文書D-1-1)
明和七年三月「一札之事」(史料集一八、一〇九頁)
明和九年九月「(組頭退役願)」(史料集一八、一一〇頁)
安永六年二月「差出申一札之事」(史料集一七、二三七頁)
天明三年正月「儀定証文之事」(深谷家文書)
(寛政二年六月ヵ)「一札之事」(史料集一八、一一一頁)
寛政五年正月「一札之事」(史料集一八、一一二頁)
寛政七年三月「寅年村入用帳」(史料集二九、一八〇頁)
寛政一一年三月「午年村入用帳」(史料集二九、一八七頁)
享和元年三月「申年村入用帳」(史料集二九、一九〇頁)
文化五年三月「卯年村入用」(史料集二九、二〇一頁)
文化六年三月「武蔵国多摩郡小川村五人組御仕置帳」(史料集二、九七頁)
文化九年二月「乍恐以書付奉願上候」(深谷家文書)
文化一四年六月「一札之事」(深谷家文書)
文化一五年四月「名主退役跡役願入用割合帳」(史料集一八、一一四頁)
文政三年五月「議定一札之事」(史料集二、四七頁)
文政四年五月「村差出明細書上帳」(史料集一、五八頁)
文政四年六月「村差出明細帳」(史料集一、一〇四頁)
文政七年三月「乍恐以書付御訴訟奉申上候」(史料集一六、二一二頁)
文政七年四月「差上申済口証文之事」(史料集一六、二一六頁)
天保四年三月「武蔵国多摩郡南廻り田新田五人組御仕置帳」(斉藤家文書B-1-11・40)
天保一一年五月「差上申済口証文之事」(史料集一六、二五九頁)
天保一一年一一月「議定一札之事」(史料集二五、二二一頁)
天保一二年閏正月「差上申済口証文之事」(史料集一六、二六三頁)
丑(天保一二年)六月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一七、一〇一頁)
天保一三年三月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一七、一一五頁)
天保一四年三月「五人組帳控」(當麻家文書B-1-10)
弘化二年三月「宗門人別帳」(當麻家文書F-1-27)
弘化四年三月「去午年村入用帳」(史料集二九、二四九頁)
弘化四年一二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一七五頁)
嘉永三年八月「村差出明細書上帳」(史料集一、一三一頁)
嘉永六年三月「乍恐以書付奉願上候」(鈴木家文書D-2-2)
嘉永三年八月「村差出明細書上帳」(史料集一、一三一頁)
嘉永三年「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一四三頁)
嘉永六年三月「去子村入用書上帳」(史料集二九、一六七頁)
嘉永七年二月「去丑村入用書上帳」(史料集二九、一六九頁)
安政四年正月「村入用控帳」(史料集二九、三六八頁)
安政四年三月「去辰村入用書上帳」(史料集二九、一七一頁)
安政五年八月「一札之事」(史料集一六、二七四・二七五頁)
万延元年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一四四頁)
文久二年正月「一札之事」(史料集一六、二八〇頁)
慶応二年八月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一四九頁)
慶応三年四月「一札之事」(史料集一八、一六八頁)
明治三年三月「郡中御制法伍組帳」(當麻家文書D-2-6)
明治三年四月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一五〇頁)
(年未詳)六月「口代」(当麻伝兵衛家文書D-3-20)
(年未詳)二月「口上」(当麻伝兵衛家文書D-3-14)
(年未詳)五月「(村役人に付書状)」(当麻伝兵衛家文書D-3-19)
(年未詳)「玉川上水絵図」(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
 
 第二節 年貢はどのように納められるのか
朝尾直弘「公儀と幕藩領主制」(『将軍権力の創出』〈朝尾直弘著作集〉第一巻、岩波書店、二〇〇四年)
児玉幸多『近世農民生活史』(新版、吉川弘文館、二〇〇六年)
佐藤和彦編『租税』(日本史小百科、東京堂出版、一九九七年)
蛭田廣一「細田家文書および古書」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』創刊号、二〇〇九年)
深谷克己「取立てと御救い」(同『民間社会と百姓成立』〈深谷克己近世史論集〉第一巻、校倉書房、二〇〇九年)
水本邦彦『近世の村社会と国家』(東京大学出版会、一九八七年)
渡辺尚志『百姓の力』(柏書房、二〇〇八年)
     *
元禄一四年五月「辰之御年貢勘定目録之事」(史料集一三、一〇七頁)
(宝永七年頃)「(玉川上水萱年貢取立帳)」(小川家文書C-7-9)
享保一九年一〇月「寅御年貢可納割附之事」(史料集一三、三一二頁)
正徳三年八月「武蔵国多摩郡小川新田諸色指出帳」(史料集一、一二頁)
安永二年一一月「巳御年貢可納割附之事」(當麻家文書C-1-35)
安永五年一一月「申御年貢大概皆済帳」(小川家文書C-3-25)
安永七年四月「諸上納金取立人相極メ候連判控帳」(小川家文書C-9-11)
安永九年六月「子夏御成箇大概割賦帳」(小川家文書C-2-98)
寛政五年三月「子皆済目録」(小川家文書C-4-126)
文化五年一一月「辰御年貢可納割附之事」(斎藤家文書C-1-57)
文化一三年一〇月「子御年貢可納割附之事」(當麻家文書C-1-58)
文政三年五月「議定一札之事」(小川家文書D-2-23)
弘化二年九月「当秋成御年貢取立覚帳」(細田家文書C-3-7)
安政六年一〇月「未御年貢可納割附之事」(斎藤家文書C-1-87)
明治元年二月「卯御年貢皆済目録」(小川家文書C-3-7)
 
 第三節 村のくらしを支える
荒井顕道編『牧民金鑑』下巻(瀧川政次郎校訂、西田書店、一九六九年)
伊藤好一「江戸時代に於ける武蔵野地方の甘藷栽培」(『生物研究会誌』Vol.V.No.1~4.一九五五年)
大石学『享保改革の地域政策』(吉川弘文館、一九九六年)
大石学『多摩と江戸』(たましん地域文化財団、二〇〇〇年)
大石学『吉宗と享保の改革』(改訂新版、東京堂出版、二〇〇一年)
太田尚宏『幕府代官伊奈氏と江戸周辺地域』(岩田書院、二〇一〇年)
深谷克己「取立とお救い」(同『深谷克己近世史論集』第一巻 民間社会と百姓成立、校倉書房、二〇〇九年)
松沢裕作『明治地方自治体制の起源』(東京大学出版会、二〇〇九年)
     *
寛文二年一一月「(名主九郎兵衛非法ニ付訴状)」(史料集一五、二頁)
元禄一四年五月「辰之御年貢勘定目録之事」(史料集一三、一〇七頁)
享保一二年九月「御公用御触留」(東京都教育庁社会教育部文化課編『東京都古文書集第一巻吉野家文書(1)』二一頁)
享保一四年五月「御奉行所ニおゐて頂戴 御新田開畑農具料被下割渡銘々請取判形帳」(史料集一二、六六頁)
享保一四年「小川新田出百姓書上」(史料集一二、三四〇頁)
享保一九年五月「(市場相立願)」(史料集一九、二七七頁)
享保一九年五月「(市場相立願)」(史料集一九、二七九頁)
元文元年五月「御用留」(『国分寺史料集(Ⅱ)』、一四三頁)
元文四年六月「(市場開設許可ニ付覚)」(史料集一九、二八三頁)
元文四年八月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一九、二八三頁)
寛保元年五月「覚」(史料集二〇、三頁)
延享元年一〇月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二五、二六三頁)
明和五年九月「亥取集メ穀取立帳」(史料集二〇、六頁)
明和五年九月「覚」(史料集二〇、六頁)
(明和六年)「一札之事」(史料集一九、二八六頁)
明和七年閏六月「(御上水通船目論見願)」(史料集二三、二八九頁)
明和七年閏六月「御上水通船仕用目論見帳」(史料集二三、二九一頁)
明和八年正月「夫食拝借願上候ニ付御請連判」(史料集一八、二五〇頁)
明和八年二月「指出申一札之事」(史料集一五、二九一頁)
明和八年二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、二五四頁)
(明和八年)「(百姓勝手不法ニ付召出御吟味願)」(小川家文書D-7-49)
安永五年四月「借用申証文之事」(小川家文書Q-1-3)
安永八年七月「乍恐以書付を奉願上候」(小川家文書Q-1-7)
天明元年一〇月「武蔵野新田養料金御貸附小前帳」(史料集二〇、一〇六頁)
天明二年一〇月「乍恐以書付奉申上候」(史料集一九、三〇頁)
天明四年一〇月「乍恐以書付奉申上候」(史料集一九、三三頁)
寛政四年三月「貯穀取集ニ付人別書出帳」(史料集二〇、九頁)
文化二年正月「御用御貸附金拝借証文」(小川家文書Q-1-15)
文化六年九月「当巳年貯穀御割渡小前請書帳」(史料集二〇、三二頁)
文化一〇年九月「酉年貯穀夫食囲戻小前帳」(史料集二〇、三五頁)
文政二年「畑田成之儀ニ付申上候書付」(史料集二五、二六七頁)
文政五年一二月「金子預手形之事」(小川家文書Q-1-16)
文政九年六月「乍恐以書付奉願上候」(小川家文書Q-1-19)
天保八年正月「年頭帳」(小川家文書E-7-2)
 
 第四節 人びとのくらしとつながり
大竹秀男『家と女性の歴史』(弘文堂、一九七七年)
大口勇次郎『女性のいる近世』(勁草書房、一九九五年)
大島真理夫『近世における村と家の社会構造』(御茶の水書房、一九七八年)
大島真理夫『近世農民支配と家族・共同体』増補版(御茶の水書房、一九九三年)
木村礎『近世の村』(教育社歴史新書、一九八〇年)
女性史総合研究会編『日本女性史』第三巻近世(東京大学出版会、一九八二年)
高木俊輔「解題」(国文学研究資料館史料館編『農民の日記』史料叢書5、名著出版、二〇〇一年)
多摩市教育委員会編『新撰組の人々と旧富澤家』(二〇〇三年)
高木俊輔「幕末維新期の日記史料研究」(『立正大学文学部研究紀要』二〇、二〇〇四年)
千葉真由美『近世百姓の印と村社会』(岩田書院、二〇一二年)
比較家族史学会編『事典 家族』(弘文堂、一九九六年)
牧田りゑ子「近世京都における女性の家産所有」(近世女性史研究会編『論集近世女性史』、吉川弘文館、一九八六年)
藪田貫「学会展望 女性史研究における「近世」-『論集女性近世史』によせて」(『歴史評論』四四三、一九八七年)
小平市統計資料(「住民基本台帳における町丁別世帯数及び人口(平成二四年四月一日)」)
多摩市史編集委員会編『多摩市史』資料編二近世 社会経済(一九九五年)
史料館編『武蔵国多摩郡連光寺村富沢家文書目録』(史料館所蔵史料目録第六集、一九五七年)
     *
明暦四年二月「相定申一札之事」(史料集一二、一八四頁)
正徳三年八月「武蔵国多麻郡小川新田村諸色差出帳」(史料集一、一二頁)
元文四年九月「南北武蔵野出百姓草分書出帳」(史料集一二、八三頁)
宝暦九年四月「村鑑帳」(史料集一、八六頁)
宝暦一一年三月「宗旨人別改書上帳」~慶応四年三月「宗門人別帳控」(當麻家文書F-1-1~44)
明和二年三月「人別宗門帳改書上帳」(当麻伝兵衛家文書F-1-2)
明和六年三月「当丑年人別改帳」~慶応四年三月「当辰年宗門人別改書上帳」(斉藤家文書F-1-1~80)
明和六年三月「当丑年宗門人別改帳」~文化一五年三月「当寅年宗門人別改メ書上帳」(山田家文書F-1-1~21)
安永七年三月「(宗門人別帳)」~安政四年三月「宗門人別帳」(小川家文書F-1-1~27)
文化八年七月「差出申一札之事」(史料集一八、二〇八頁)
天保六年三月「人別増減帳」(史料集一、二〇八頁)
天保九年二月「村柄明細書上帳」(史料集一、六七頁)
天保九年三月「野中新田両組分村差出帳之写」(史料集一、一二〇頁)
天保一二年三月「家数人別増減書上帳」(史料集一、二四四頁)
天保一四年九月「差出申御請書之事」(史料集一七、一三五頁)
巳(弘化二年)正月二五日「(欠落届)」(史料集一七、一六〇頁)
嘉永六年「癸丑日新記」(多摩市富沢家文書)
嘉永七年「甲寅日新記」(多摩市富沢家文書)
安政二年「乙卯日記帳」(多摩市富沢家文書)
安政二年三月「武州田無村組合村々地頭性名其外書上帳」(史料集一、一三七頁)
安政四年九月「村差出明細帳」(史料集一、六九頁)
安政六年三月「家数人別増減帳」(史料集一、一九七頁)
安政六年一二月「奉公人御請状之事」(當麻家文書B-3-20)
元治元年三月「宗門人別改帳」(多摩市富沢家文書、元文三年~明治三年「人別帳并宗門人別改帳」のうち)
明治三年三月「郡中御制法伍組帳」(史料集二、一五一頁)
(年未詳)「一札之事」(史料集一八、二一七頁)
 
 第五節 人は何を信じていたのか
菅野洋介『近世の宗教と社会』(思文閣、二〇一一年)
笹本正治『中世の音・近世の音』(講談社学術文庫、二〇〇八年)
澤博勝『近世の宗教組織と地域社会』(吉川弘文館、一九九九年)
高埜利彦『近世日本の国家権力と宗教』(東京大学出版会、一九八九年)
中野猛編『略縁起集成』第四巻(勉誠出版、一九九八年)
水本邦彦「雨乞いと郷村社会」(『絵図と景観の近世』、校倉書房、二〇〇二年)
林淳『近世陰陽道の研究』(吉川弘文館、二〇〇五年)
原淳一郎『近世寺社参詣の研究』(思文閣、二〇〇七年)
朴澤直秀『幕藩権力と寺檀制度』(吉川弘文館、二〇〇四年)
宮田登『日本人と宗教』(岩波書店、一九九九年)
     *
宝暦二年八月「(神明宮太鼓造立施主之覚)」(宮崎家〈神明宮〉文書F-3)
天明七年三月「(浄智寺金銭寄進帳)」(斉藤家文書F-3-2)
天明八年四月「一札之事」(史料集一四、二九二頁)
寛政二年「村差出明細帳」(史料集一、一五二頁)
寛政三年一二月「覚」(斉藤家文書F-3-5)
享和三年「太々御神楽献立」(史料集一四、二九三頁)
文化元年五月「差上申済口証文之事」(宮崎家〈熊野宮〉文書F12)
文化二年二月「富士山大々御神楽控帳」(史料集一四、一〇〇頁)
文政一二年「奉上棟熊野三社大権現御本社再建成就之修」(史料集一四、一四一頁)
文政九年「(大般若経寄進帳)」(斉藤家文書F-3-7)
文政一三年「一札之事」(史料集一四、二九七頁)
天保一二年「乍恐以書付出入始末奉申上候」(史料集一四、二九八頁)
弘化三年四月「日光道中日記」(史料集三〇、二五頁)
嘉永七年「武州府中松尾講勧進帳」(史料集一四、二七二頁)
万延元年「乍恐以書付奉願上候」(宮崎家〈熊野宮〉文書F24)
文久二年「大山寺六ヶ年講御手長連名帳」(史料集一四、二七五頁)
文久三年 「竈神祭覚帳」(宮崎家〈神明宮〉文書F-9)
慶応二年九月「神社仏閣納経帳」(丹生家文書F1)
慶応三年「差上申侘書之事」(史料集一四、一〇六頁)
明治一六年九月「(医業履修明細書)」(宮崎家〈熊野宮〉文書T-3-7)
(年未詳)「職札」(宮崎家〈熊野宮〉文書F38)
(年未詳)「(日盃料奉納等ニ付書上)」(当麻伝兵衛家文書F-3-106)
 
 第六節 玉川上水と生きる
伊藤好一『武蔵野と水車屋』(クオリ、一九八四年)
伊藤好一『江戸上水道の歴史』(吉川弘文館、一九九六年)
石野広道・東京都水道局校訂『上水記』(東京都水道局、一九六五年)
梅田定宏「玉川上水通船再考」(『紀要(東海大学菅生中学校・高等学校)』、二〇〇六年)
大石学『首都江戸の誕生』(角川選書、二〇〇二年)
小坂克信『玉川上水の水利用と水車』(とうきゅう環境浄化財団、二〇〇〇年)
小坂克信『玉川上水と分水』(玉川上水と分水の会、一九八九年)
小平郷土史研究会編『古文書に見る小平の水 玉川上水と分水』(小平市教育委員会、一九八四年)
角田清美「神田上水と玉川上水」(『羽村市郷土博物館紀要』二六、二〇一二年)
多摩百年史研究会編『多摩百年のあゆみ』(けやき出版、一九九三年)
羽村市郷土博物館編『玉川上水論集Ⅱ』(羽村市史料集八、羽村市教育委員会、二〇〇三年)
肥留間博『玉川上水』(伊藤好一監修、たましん地域文化財団、一九九一年)
間宮士信等編・白井哲哉解説『新編武蔵国風土記稿』(文献出版、一九九七年)
東京都教育委員会編『玉川上水文化財調査報告』(一九八五年)
     *
(延宝二年頃)「(小川村地割図)」(史料集二六、二五一頁)
元禄七年六月「乍恐以書付御訴訟仕候御事」(史料集二三、一六五頁)
元禄七年七月「乍恐以書付御訴訟申上候御事」(史料集二三、一二〇頁)
宝永元年六月「乍恐書付を以御訴訟申上候」(史料集二八、三頁)
宝永五年十月「差上ケ申手形之事」(史料集二三、一二三頁)
(宝永二~正徳三年)「(小川村地割図)」(史料集二六、二五四頁)
享保一六年四月「乍恐以書付奉申上候」(史料集二四、三頁)
享保一九年五月「川崎様江指出帳」(史料集一、二一頁)
享保二一年三月「大岱新田地割絵図」(東村山市當麻勉家文書Aオ四五一)
享保二一年三月「大岱新田地割絵図」(當麻家文書V1)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡廻田村新田検地帳」(斉藤家文書A-1-2)
宝暦九年四月「村鑑帳」(史料集一、八六頁)
宝暦九年「村鑑帳」(東村山市小町家文書 村政・村方帳簿13)
宝暦一二年二月「出百姓年数覚」(史料集一二、一二三頁)
明和元年一二月「乍恐以書付奉申上候」(史料集二六、三頁)
明和二年九月「水車水料割渡帳」(史料集二六、四頁)
安永三年三月「(村鑑帳)」(史料集一、一二五頁)
安永七年閏七月「御上水分水埋桶筧御普請御見分ニ付申上候書付」(史料集二四、一八頁)
寛政一一年「(御郡代巡見ニ付村絵図)」(史料集二六、二五六頁)
享和元年六月「乍恐以書附奉願上候」(史料集二四、三三頁)
文化三年八月「被仰渡」(史料集二三、一八五頁)
文化一一年六月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二三、一八五頁)
文政二年三月「樋口伏替御目論見控帳」(史料集二四、四四頁)
文政五年三月「村議定惣連印帳」(史料集二、八二頁)
文政七年三月「取替証文之事」(史料集二六、四七頁)
文政七年九月「乍恐以書付御愁訴奉申上候」(史料集三〇、三〇六頁)
文政一〇年一二月「埋樋伏替仕様帳」(史料集二四、五二頁)
文政一一年正月「奉請取候金子之事」(史料集二四、五五頁)
天保七年三月「乍恐以書付御請奉申上候」(史料集二三、一二七頁)
天保八年二月「玉川御上水通分水埋樋掛渡井自普請出来形帳 樋口伏替仕様帳」(史料集二四、五八頁)
天保八年二月「奉請取候金子之事」(史料集二四、六二頁)
天保八年三月「奉請取候金子之事」(史料集二四、六四頁)
天保八年一一月「廻り田新田忠兵衛地先鈴木新田引取分水口(絵図)」(史料集二五、二七一頁)
天保八年一一月「(鈴木新田田用水之絵図差出覚)」(史料集二五、二七二頁)
天保九年一〇月「(玉川御上水分水絵図面)」(史料集二四、七四頁)
天保九年一〇月「多摩郡鈴木新田野中新田関野新田下小金井新田梶野新田大沼田新田御手当金自普請所書上帳」(史料集二四、七一頁)
天保一〇年三月「(村絵図)」(史料集二六、二六二頁)
天保一〇年三月「(村絵図)」(當麻家文書V2)
天保一五年正月「鈴木新田関野新田野中新田梶野新田大沼田新田下小金井新田埋樋七ヶ所掛渡井弐ヶ所御主法替ニ付被下金割合帳」(史料集二四、八三頁)
天保一五年四月「乍恐以書付奉申上候」(史料集二四、八五頁)
天保一五年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集三〇、三三九頁)
弘化三年二月「御上水北側当村分水埋樋修履自普請出来形帳」(史料集二四、八七頁)
嘉永三年八月「村差出明細書上帳」(史料集一、一三二頁)
嘉永五年七月「樋口伏替普請諸入用覚帳」(史料集二四、九一頁)
嘉永六年二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二五、二九六頁)
嘉永六年三月「(畑田成地用水引取方不弁理ニ付田方取潰畑永上納願御下ケ願)」(史料集二五、二九八頁)
安政二年一二月「乍恐以書付奉嘆願候」(史料集二六、一〇二頁)
文久三年一一月「中山道浦和宿助合一件 嘆願書写」(史料集三〇、四〇二頁)
明治三年六月「玉川上水通船一件」(東京都立中央図書館特別文庫室所蔵)
明治三年六月「通船 願書控」(史料集二三、二九九頁)
明治一一年八月「以書付奉願上候」(史料集二三、八九頁)
明治一一年九月「水汲場据置願」(史料集二三、九一頁)
明治一四年三月「水汲場廃止願」(史料集二三、九二頁)
(年未詳)七月「(書状)」(史料集二八、一八九頁)
(年未詳)二月「(書状)」(史料集二八、一八九頁)
(年未詳)「(水車場所絵図)」(史料集二六、一二五頁)
『日本庶民生活史料集成』第八巻(三一書房、一九六九年)のうち『慶長見聞集』
 
 第七節 権利をめぐって
伊藤好一「郷宿秩父屋-補注(3)」(『鈴木平九郎「公私日記」』第六冊 天保十三年、立川市教育委員会、一九七五年)
茎田佳寿子『幕末日本の法意識』(巌南堂書店、一九八二年)
斎藤直成編『江戸切絵図集成』第二巻近江屋板上(中央公論社、一九八一年)
白川部達夫『近世の百姓世界』(歴史文化ライブラリー69、吉川弘文館、一九九九年)
曾根ひろみ「享保期の訴訟裁判権と訴-享保期の公儀-」
高橋敏『江戸の訴訟』(岩波新書、一九九六年)
平松義郎『江戸の罪と罰』(平凡社、一九八八年)
水野祐・伊藤好一監修『鈴木平九郎「公私日記」』第五冊 天保一二年(立川市教育委員会、一九七五年)
渡辺尚志『百姓の主張』(柏書房、二〇〇九年)
藪田貫編『社会と秩序』(民衆運動史三、青木書店、二〇〇〇年)
     *
明和五年七月「一札之事」(史料集二五、一七九頁)
安永四年一二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二五、一八〇頁)
安永四年一二月「一札之事」(史料集二五、一八一頁)
安永四年閏一二月「水出入連判之一札」(史料集二五、一八二頁)
安永五年正月「(采女地尻よりの新堀一件水出入ニ付連印状)」(史料集二五、一八四頁)
安永五年二月「乍恐以書付御訴訟奉申上候」(史料集二五、一八六頁)
安永五年六月「乍恐以書付奉申上候」(史料集二五、一九三頁)
安永六年四月「差上申一札之事」(史料集二五、一九七頁)
安永六年八月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二五、一九九頁)
安永六年九月「差上申一札之事」(史料集二五、二〇一・二〇二頁)
安永八年八月「差出シ申一札之事」(史料集二五、二〇四頁)
安永九年三月「差上申一札之事」(史料集二五、二〇五頁)
安永九年八月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二五、二〇六頁)
安永九年一〇月「水論入用勘定帳」(史料集二五、二〇八頁)
(文化一〇年)正月「(書状)」(史料集一七、二七五頁)
文化一〇年正月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一七、二七六頁)
文化一〇年正月「境出入訴状返答書写」(史料集一七、二七八頁)のうち(1)(2)(3)
文化一〇年二月「(小川新田との境出入論所麁絵図)」(史料集一七、二八五頁)
文化一一年二月「境出入諸書物控」(史料集一七、二九四頁)のうち(1)~(4)(6)
文化一一年一一月「差上申済口証文之事」(史料集一七、三三頁)
文化一二年九月「乍恐以書付御訴訟奉申上候」(史料集二五、二一二頁)
文化一二年一〇月「差上申済口証文之事」(史料集二五、二一三頁)
文化一二年一〇月「為取替儀定証文之事」(史料集二五、二一五頁)
文政二年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集二五、二一七頁)
天保一〇年三月「(村絵図)」(史料集二六、二六二頁)
天保一一年一一月「乍恐以書付御訴訟申上候」(史料集二五、二一九頁)
天保一二年閏正月「乍恐以御訴訟奉申上候」(史料集一七、七六頁)
天保一二年閏正月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一七、七七頁)
天保一二年閏正月「乍恐以書付御訴訟奉申上候」(史料集一七、八〇頁)
天保一二年二月「乍恐以書付奉申上候」(史料集一七、八八頁)
天保一二年三月「差上申一札之事」(史料集一七、八九頁)
天保一二年三月「乍恐以返答書奉申上候」(史料集一七、九〇頁)
天保一二年四月「乍恐以書付奉申上候」(史料集一七、九二頁)
天保一二年四月「一件日記覚」(史料集一七、九四頁)
天保一二年六月「乍恐以書付御訴訟奉申上候」(史料集一七、一〇二頁)
天保一二年一一月「詫一札之事」(史料集一七、一一〇頁)
天保一二年一一月「差上申一札之事」(史料集一七、一一一頁)
天保一二年一一月「差上申済口証文之事」(史料集一七、一一二頁)
天保一三年三月「乍恐以書付奉願上候」(「史料集一七、一一五頁)
天保一五年「縁談出入書面写」(史料集一七、一五三頁)
辰(弘化元年)一一月「乍恐以書付奉願上候」(斉藤家文書D-9-3)
(弘化二年)「村方乱法始末書」(史料集二五、二三五頁)
弘化三年二月「宿町宿帳」(当麻伝兵衛家文書R-2-1)
安政五年四月「宗門人別帳控」(當麻家文書F-1-36)
安政六年三月「宗門人別帳控」(當麻家文書F-1-37)
戌八月廿七日(破談届ヶ写)(史料集一七、三一〇頁)
(年未詳)「駆込訴下書」(史料集一七、三一二頁)
(年未詳)閏六月一〇日「(別紙差紙御渡ニ付通達の書状)」(当麻伝兵衛家文書G-4-6)
(年未詳)午八月九日「(停止触廻状)」(斉藤家文書D-1-18)
(年未詳)卯極月八日「(出府中の飯料代金請求の書状)」(当麻伝兵衛家文書P-2-138)
 
 第八節 村に住む武士
朝尾直弘「近世の身分とその変容」(朝尾直弘編『日本の近世』7身分と格式、中央公論社、一九九二年)
朝尾直弘「十八世紀の社会変動と身分的中間層」(辻達也編『日本の近世』10近代への胎動、中央公論社、一九九三年)
伊藤好一「江戸の水道制度」(西山松之助編『江戸町人の研究』五、吉川弘文館、一九七八年)
伊藤好一『江戸上水道の歴史』(吉川弘文館、一九九六年)
井上松五郎(八代目)・日野の古文書を読む会研究部会編『八王子千人同心井上松五郎文久三年御上洛御供旅記録』(井上源三郎資料館、二〇〇四年)
大嶋陽一「宝暦・天明期の千川上水再興運動」(大石学編『千川上水・用水と江戸・武蔵野』名著出版、二〇〇六年)
熊沢徹「幕府軍制改革の展開と挫折」(宮地正人編『講座日本近現代史 Ⅰ』、岩波書店、一九九三年)
久留島浩編『支配をささえる人々』(吉川弘文館、二〇〇〇年)
東京市役所編『東京市史稿』上水篇第一(臨川書店、一九七五年)
野口武彦『幕府歩兵隊』(中央公論新社、二〇〇二年)
八王子千人同心史編さん委員会編『八王子千人同心史』通史編(八王子市教育委員会、一九九二年)
馬場憲一「八王子千人同心の世襲と分布」(村上直編『八王子千人同心史料』(雄山閣、一九七五年)
原田佳伸「江戸近郊の武家屋敷」(『近世史研究』四、一九九〇年)
原田佳伸「江戸場末百姓地の宅地化とその要因」(『関東近世史研究』二九、一九九〇年)
原田佳伸「村の中の武家地」(宮崎勝美・吉田伸之編『武家屋敷』一九九四年、山川出版社)
原田佳伸「大名下屋敷と地元百姓の関わり」(竹内誠編『近世都市江戸の構造』、三省堂、一九九七年)
深谷克己『江戸時代の身分願望』(吉川弘文館、二〇〇六年)
三野行徳「幕府浪士取立計画の総合的検討」(大石学編『一九世紀の政権交代と社会変動』、東京堂出版、二〇〇九年)
三野行徳「新田開発と武家抱屋敷」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』二、二〇一〇年)
三野行徳「近藤勇の母「ゑい」と兄「惣兵衛」」(『小平の歴史を拓く-市史研究-』三、二〇一一年)
宮崎勝美「江戸の土地」(吉田伸之編『日本の近世』9 都市の時代、中央公論社、一九九二年)
村上直編『江戸幕府八王子千人同心』(増補改訂版、雄山閣出版、一九九三年)
吉岡孝『八王子千人同心』(同成社、二〇〇二年)
     *
延宝元年一一月「(金子借用証文)」(小川家文書Q-2-24)
延宝七年一二月「相渡し申屋敷畑之事」(小川家文書A-5-14)
延宝八年一二月「相渡シ申屋敷之事」(史料集一三、三五五頁)
天和二年八月「相渡シ申家屋敷畑竹木之事」(史料集一三、三五七頁)
元禄四年一二月「手形之事」(史料集一三、三六〇頁)
元禄七年七月「小川御下屋敷請負之覚」(史料集一三、三六九頁)
元禄七年八月「請状之事」(史料集一三、三七〇頁)
元禄八年七月「手形之事」(史料集一三、三七二頁)
元禄一〇年三月「相渡畑屋敷之事」(史料集一三、三七三頁)
元禄一〇年四月「手形之事」(史料集一三、三七三頁)
元禄一二年八月「添手形之事」(史料集一三、三七四頁)
元禄一五年九月「覚」(史料集一三、三七五頁)
宝永四年四月「証文之事」(史料集一三、三七六頁)
宝永四年七月「(石丸三左衛門様御抱屋敷と市兵衛屋敷境目出入ニ付口上書)」(史料集一三、三七七頁)
正徳二年七月「覚」(史料集一三、三八一頁)
享保四年六月「証文之事」(史料集一三、三八二頁)
享保四年八月「一札之事」(史料集一三、三八三頁)
享保五年三月「(屋敷畑返進譲渡証文)」(史料集一三、三八四頁)
宝暦三年八月「(尾州様御鷹場御定杭場所書上帳)」(史料集二一、四頁)
安永三年「(上水関係留)」(史料集二七、一七八頁)
天明七年一〇月「奉伺候覚」(小川家文書U-3-9)
寛政九年四月「証文之事」(史料集一三、三八九頁)
文化一一年一二月「以書付奉願候」(史料集二一、二一五頁)
文政二年三月「(御鷹場役人風紀紊乱に付き御改正訴状)」(史料集二一、二一七頁)
文政五年正月「千人同心四七番組用留」(當麻家文書G-5-2)
文政一〇年「文政九年~天保九年 千人町より到来之書状留帳」(多摩市教育委員会社会教育課編『小山晶家文書(四)』、一一〇頁)
文政一二年「宗門人別帳」(當麻家文書F-1-16)
文政一四年「日光道中木銭帳」(史料集三〇、二九七頁)
天保五年七月「御抱地一件案文控」(史料集一三、三八九頁)
天保六年正月「榊原忠右衛門様より御吟味願被成候ニ付論所地改御出役様方御越被成地所御見分御請証文…(後略)」(史料集一三、三九四頁)
天保六年一一月「(疋田利一所持地書上)」(史料集一三、四〇四頁)
天保一二年一一月「尾州御用留」(史料集二二、七一頁)
嘉永元年・二年・四年「河野組同心宗門手形」(多摩文化研究会編『多摩文化』一四、三五一頁)
嘉永六年五月「田村金右衛門一件入用帳」(當麻家文書G-4-6)
嘉永六年六月「千人買金割合帳」(細田家文書D-5-3)
嘉永六年「一札之事」(下田富宅編『公用文例略記』一八七頁)
嘉永七年一二月「差出申一札之事」(小川家文書G-5-3)
嘉永七年「番組合之縮図」(八王子市郷土資料館編『八王子の絵図Ⅰ』八王子市教育委員会)
安政元年一二月「万覚帳」(細田家文書D-9-1)
安政四年「宗門人別帳」(小川家文書F-1-27)
安政五年四月「宗門人別帳」(當麻家文書F-1-36)
安政七年二月「日並録 諸用留」(くにたち中央図書館編『佐藤康胤家所蔵史料2』、五八頁)
文久三年「御上洛御供方万日記控」(多摩市教育委員会社会教育課編『小山晶家文書(四)』、二一九頁)
文久三年「御上洛供方長柄方・砲術方・警衛方覚」(多摩市教育委員会社会教育課編『小山晶家文書(四)』、二五一頁)
元治二年正月「壱番 諸御触書 村方用向控帳」(小川家文書D-6-99)
慶応元年「御進発御供日記」(小山まほろば会編『小嶋隆蔵「御進発御供日記」一』町田市教育委員会)
慶応二年四月七日条(『続 徳川実紀』第四編)
 
 第九節 伝えられる文書
高木俊輔・渡辺浩一編著『日本近世史料学研究』(北海道大学図書刊行会、二〇〇〇年)
千葉真由美『近世百姓の印と村社会』(岩田書院、二〇一二年)
日本古文書学会編『日本古文書学論集』12近世2近世の地方・町方文書(吉川弘文館、一九八七年)
日本古文書学会編『日本古文書学論集』13近世3近世の私文書(吉川弘文館、一九八七年)
     *
明暦二年六月「手形之事」(史料集一二、三頁)
明暦四年二月「相定申一札之事」(史料集一二、一八四頁)
寛文三年三月「指上申一札之事」(史料集一二、三頁)
延宝五年七月「手形之事」(史料集一五、二五頁)
貞享三年閏三月「手形之事」(史料集一五、六〇頁)
正徳三年八月「武蔵国多摩郡小川新田村諸色指出帳」(史料集一、一二頁)
享保七年八月「乍恐口上書を以奉願上候」(史料集一二、八〇頁)
享保七年一〇月「武蔵野新田儀定書并願書諸証文之控」(史料集一二、九七頁)
享保一一年八月「覚」(史料集一八、一四二頁)
元文元年一二月「武蔵国多摩郡野中新田検地帳」(市役所引継文書A1)
元文三年「名寄帳」(深谷家文書)
元文四年九月「南北武蔵野出百姓草分書出帳」(史料集一二、八三頁)
寛延二年五月「(川崎平右衛門様御支配所替の件御猶予願)」(史料集一八、一五六頁)
寛延三年一一月「証文」(史料集一八、一六三頁)
宝暦六年五月「村鑑帳」(史料集一、四〇頁)
宝暦一一年「出百姓書上帳」(深谷家文書)
宝暦一四年三月「口書之事」(史料集一五、二六三頁)
明和六年四月「差出申一札之事」(史料集一五、二八四頁)
安永八年三月「宗旨人別帳」(當麻家文書F-1-2)
安永九年三月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一一〇頁)
享和二年四月「差出シ申一札之事」(史料集一七、二五五頁)
文政四年「村差出明細書上帳」(史料集一、六四頁)
天保一四年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一七、一三六頁)
天保(六年)四月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一七、六八頁)
弘化二年三月「当巳宗門人別帳」(小川家文書F-1-26)
弘化四年七月「御用留」(史料集五、一頁)のうち(1)(10)(14)(39)
嘉永元年一二月「議定証文之事」(当麻伝兵衛家文書A-5-51・52)
嘉永三年三月「宗門人別帳」(當麻家文書F-1-29)
安政三年三月「宗門人別帳控」(當麻家文書F-1-35)
未(安政六年)一一月「(外国金銀通ニ付触廻状)」(斉藤家文書D-1-16)
安政六年「御用請取帳」(斉藤家文書D-6-48)
(年未詳)正月「口上」(当麻伝兵衛家文書D-3-12)
文久三年「私領渡差障有無書上帳」(史料集一、一一三頁)
慶応四年四月「御新田発墾之砌初祖名主勤役中諸願書…(後略)」(史料集一八、一六八頁)
明治五年一〇月「田畑其外直段書上帳控」(当麻伝兵衛家文書A-6-1)
(明治五年)一一月「口演」(当麻伝兵衛家文書A-6-2)
 
第三章 村がかわる
 第一節 広がる格差と村の対応
伊藤好一『江戸地廻り経済の展開』(柏書房、一九六六年)
伊藤好一『武蔵野と水車屋』(クオリ、一九八四年)
下田富宅編『公用分例略記』(東京書房、一九六六年)
田無市史編さん委員会編『田無市史』第一巻中世・近世史料編(田無市、一九九一年)
田無市史編さん委員会編『田無市史』第三巻通史編(田無市企画部市史編さん室、一九九五年)
所三男『近世林業史の研究』(吉川弘文館、一九八〇年)
松沢裕作『明治地方自治体制の起源』(東京大学出版会、二〇〇九年)
     *
明暦二年一二月「預り申金子之事」(小川家文書N-1-1)
宝永三年九月「乍恐以書付奉願上候(小川家文書O-2-1)
宝暦一二年二月「為取替申石灰焼立金主証文之事」(小川家文書N-1-23)
(明和二年)「乍恐以書付奉願上候」(小川家文書M-3-15)
寛政二年八月「乍恐以書附奉願上候」(史料集一九、四三頁)
寛政七年一一月「(買木御用請証文)」(小川家文書L-2-31)
寛政一〇年正月「乍恐以書付奉願上候」(小川家文書L-2-113)
寛政一一年月「(村明細帳)」(史料集一、九九頁)
文政二年五月「議定之事」(史料集二六、四四頁)
文政二年五月「為取替議定一札之事」(史料集二六、四五頁)
天保二年五月「損毛畑分書上控」(史料集一八、二六二頁)
天保四年六月「諸御用留」(小川家文書D-6-53)のうち(11)
天保五年三月「夫食御拝借割賦小前連印帳」(史料集一八、二六五頁)
天保五年三月「夫喰代拝借割渡帳」(史料集一八、二六三頁)
天保五年三月「夫喰代拝借金割渡帳」(史料集一八、二六四頁)
天保九年正月「天保四巳年違作・同七年稀之凶作貧民之救合力差出候奇特人名前御取締出役方へ差上候控」(小川家文書I-2-33)
天保九年七月「武蔵国多摩郡田無村組合之内鈴木新田諸商渡世向取調書上」(史料集一九、一二〇頁)
安政四年八月「小川村起立書上控」(史料集一二、四四頁)
慶応四年三月「糠貸渡控帳」(小川家文書H-1-6)
慶応四年四月「糠貸渡名前控帳」(小川家文書H-1-7)
明治二年九月「糠貸渡俵数名前取調帳」(小川家文書H-1-12)
明治二年一一月「糠代金取立改帳」(小川家文書H-1-13)
明治二年七月「一札之事」(史料集一八、二六九頁)
明治二年九月「糠貸渡俵数名前取調帳表紙」(小川家文書H-1-12)
(年未詳)「粉名直売差障出入」(小平市中央図書館蔵、伊藤文庫)
 
 第二節 人びとは何を学んだか
大石久敬著・大石慎三郞校訂『地方凡例録』(東京堂出版、一九九五年)
乙竹岩造『日本庶民教育史』全三巻(臨川書店、一九七〇年複製版)
川崎喜久男『筆子塚研究』(多賀出版、一九九二年)
工藤航平「幕末期江戸周辺における地域文化の自立」(『関東近世史研究』六五、二〇〇八年)
工藤航平「村落・地域社会の知的力量と『村の編纂物』」(大石学編『近世公文書論』岩田書院、二〇〇八年)
工藤航平「幕末維新期にみる地域教育態勢の展開」(荒武賢一朗編『近世史研究と現代社会』清文堂出版、二〇一一年)
工藤航平「近世地域社会における蔵書とはなにか」(『国文学研究資料館紀要 アーカイブズ研究篇』七、二〇一一年)
工藤航平「近世蔵書文化論・試論」(東京学芸大学史学会『史海』五八、二〇一一年)
小泉吉永編『女筆手本解題』(日本書誌学大系八〇、青裳堂書店、一九九八年)
国立歴史民俗博物館編『筆子塚資料集成』(国立歴史民俗博物館、二〇〇一年)
小平市教育委員会編『小平の石造物』(小平市教育委員会、一九九三年)
菅野則子「近世女性のリテラシー」(『歴史評論』六九六、二〇〇八年)
鈴木俊幸『江戸の読書熱』(平凡社、二〇〇七年)
田中休愚著・村上直校訂『民間省要』(有隣堂、一九九六年)
東京府『開学明細書』全七巻(東京都、一九六二~六三年)
文部省編『日本教育史資料』全一〇巻(臨川書店、一九六九年)
藪田貫「『女大学』のなかの中国」(趙景達・須田努編『比較史的にみた近世日本』東京堂出版、二〇一一年)
     *
明和九年刊「女用文章糸車」(斉藤家古書)
文政五年一二月「新田開発一件」(中島家文書A-1)
文政五年刊「女古状揃園生竹」(斉藤家古書)
文政七年四月「差上申済口証文之事」(史料集一六、二一六頁)
文政一三年「諸証文書翰帖(習字手本)」(斉藤家古書)字手本)」(斉藤家古書)
天保二年二月改「算学入門帳」(吉田家文書T-4)
天保五年八月「村名」(吉田家文書T-5)
天保五年一〇月「村名手本」(吉田家文書T-6)
天保六年四月「証文類」(吉田家文書T-7)
天保一二年一二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一二二頁)
天保一四年六月「万証文賑合」(吉田家文書T-11)
弘化四年正月「諸願書之写目録」(斉藤家文書D-6-35)
弘化四年一二月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一七五頁)
嘉永三年「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一四三頁)
嘉永三年刊「読本女孝経」(吉田家古書)
嘉永五年一〇月「村名大有増附」(吉田家文書T-14)
嘉永五年刊「女庭訓往来」(吉田家古書)
万延元年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一四四頁)
万延二年刊「女用文浜の真砂」(當麻家古書)
万延二年刊「女大学榮文章」(當麻家古書)
元治二年三月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一二六頁)
慶応二年八月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一四九頁)
慶応三年七月「(手本)」(吉田家文書T-26)
(明治三三年)「筆弟覚」(小川家文書S-37)
(年未詳)「(習字手習)婚礼女国尽」(宮崎家〈熊野宮〉古書)
(年未詳)「乍恐以書付奉願上候」(史料集一八、一四一頁)
(年未詳)七月「角田川往来 下(手本)」(吉田家文書T-28)
(年未詳)「奉公人請状・質地証文一・商人問屋往来一(習字手本)」斉藤家古書)
(年未詳)「村名手本」(吉田家文書T-33)
(年未詳)「村名手本」(吉田家文書T-34)
(年未詳)「(習字手習)(諸国名産)」(宮崎家〈熊野宮〉古書)
(年未詳)「口上並日用書類(習字手本)」(斉藤家古書)
(年未詳)「(習字手習)江戸名所往来」(宮崎家〈熊野宮〉古書)
(年未詳)「(習字手習)商売往来」(宮崎家〈熊野宮〉古書)
(年未詳)「(習字手習)(江戸方角)」(宮崎家〈熊野宮〉古書)
(年未詳)「(手習手本)(「始め之御祝儀」)」(當麻伝兵衛家古書)
(年未詳)「地方心得綴書」(斉藤家文書D-9-33)
 第三節 人びとのたしなみ
青木美智男『日本の歴史別巻 日本文化の原型』(小学館、二〇〇九年)
大口勇次郎「江戸漢学塾の寄宿生活」(『東京都江戸東京博物館研究報告』八、二〇〇二年)
大田区立郷土博物館編『特別展 弥次さん喜多さん旅をする』(大田区立郷土博物館、一九九七年)
長田直子「近世後期における患者の医師選択」(『国立歴史民俗博物館研究報告』一一六、二〇〇四年)
国立市史編さん委員会編『国立市史』中巻(国立市、一九八九年)
くにたち中央図書館『本田覚庵日記』(国立市地域史料叢書第一二集、一九八九年)
国分寺市史編さん委員会編『国分寺市史料集4(本多雖軒関係文書)』(国分寺市、一九八四年)
国分寺市史編さん委員会編『国分寺市史』中巻(国分寺市、一九九〇年)
桜井邦夫「近世における東北地方からの旅」(『駒沢史学』三四、一九八六年)
さくら市市史編さん委員会編『喜連川町史』第三巻 資料編三近世(さくら市、二〇〇七年)
菅野則子『江戸の村医者』(新日本出版社、二〇〇三年)
杉仁『近世の地域と在村文化』(吉川弘文館、二〇〇一年)
大日本印刷株式会社CDC事業部年史センター編『小平三〇年史』(小平市、一九九四年)
高崎勇作「御用商人小川東吾と熊川村」(『多摩のあゆみ』六三、一九九一年)
高橋敏『家族と子供の江戸時代』(朝日新聞社、一九九七年)
高橋陽一「多様化する近世の旅」(『歴史』九七、二〇〇一年)
塚本学『生きるための近世史』(平凡社、二〇〇一年)
蛭田廣一「紀行文と宿帳に旅を読む」(『多摩のあゆみ』六三、一九九一年)
槙本晶子「近世農民のさまざま旅」(『多摩のあゆみ』六三、一九九一年)
     *
宝暦一〇年正月「乍恐以書附奉願上候」(小川家文書E-6-13)
宝暦一二年三月「武蔵国多摩郡小川村々鑑并人別書上帳下書」(史料集一、四七頁)
天明六年「武州多摩郡大沼田新田人数書上帳下書」(史料集一、二〇三頁)
寛政二年一二月「一札之事」(史料集三〇、三頁)
寛政一一年一二月「村中様子品々書上帳」(史料集一、九九頁)
文化四年六月「(松はら菴星布評句集)」(斉藤家文書T-1-5)
文化五年「諸国順覧懐宝道中図鑑」(當麻伝兵衛家文書古書)
文化六年九月「松原庵評月並(俳句)」(斉藤家文書T-1-6)
文化六年一二月「(珉江亭朗月評句集)」(斉藤家文書T-1-7)
文化六年一二月「(松原菴評月並句集題霜月)」(斉藤家文書T-1-8)
文化七年正月「松原庵評月並(俳句)」(斉藤家文書T-1-9)
文化七年八月「(松原菴評月並句集)」(斉藤家文書T-1-10)
文化八年一二月「(松原菴評句集)」(斉藤家文書T-1-11)
文政一二年~天保四年「宗門人別書上帳」(斉藤家文書F-1-42~46)
天保一〇年改正「諸国細見道中独案内図」(當麻伝兵衛家文書古書)
天保一二年正月「差上申手形之事(伊勢参宮之者関所手形)」(史料集三〇、七頁)
天保一二年「改正絵入 南都名所記」(斎藤茂家文書古書)
天保一二年「(伊勢詣旅日記)」(史料集三〇、八頁)
弘化三年二月「宿町宿帳」(史料集三〇、二一頁)
嘉永二年正月「草津道中日記」(史料集三〇、三五頁)
嘉永二年七月「日光道中日記」(史料集三〇、二五頁)
嘉永二年「伊勢讃岐道中日記」(史料集三〇、四八頁)
文久三年一〇月「養玉院香奠控帳」(當麻家文書U-3-8)
(年未詳)三月「(伊勢・熊野・高野山巡拝の後秩父巡拝後帰村予定の書状)」(史料集三〇、二三九頁)
(年未詳)「(関月庵竹妓対松館漣漪子雀堂来曽三評角力句合出句の案内)」(斉藤家文書T-1-47)
(年未詳)「東海道・秋葉鳳来寺・伊勢参宮・大和七在所・高野山道・長谷南都越定宿所」(當麻伝兵衛家古書)
(年未詳)「中仙道下り善光寺廻り定宿附」(當麻伝兵衛家古書)
(年未詳)「(秋雨の句)」(斉藤家文書T-1-78)
(年未詳)「(蓼窓評句集)」(斉藤家文書T-1-67)
(年未詳)「(南華評句集)」(斉藤家文書T-1-68)
(年未詳)「(桜花佳章の発句集販布案内)」(斉藤家文書T-1-23)
(年未詳)『新刊萬病回春』(宮崎家〈熊野宮〉古書)
(年未詳)「あきは山・かけこし・ほうらい寺道中記」(當麻伝兵衛家古書)
(年未詳)「富士山の図」(當麻伝兵衛家文書T-1-2)
 
 第四節 桜を育てる
朝倉治彦校訂『遊歴雑記』初編1・2(東洋文庫499・504、平凡社、一九八九年)
井田太郎「富士筑波という型の成立と展開」(『國華』一三一五、二〇〇五年)
井田太郎「江戸名所を構成するもの」(『品川歴史館紀要』二六、二〇一一年)
伊藤富治夫「名勝小金井(サクラ)の景観の変遷と地域づくり」(馬場憲一編著『歴史的環境の形成と地域づくり』法政大学地域研究センター叢書五、名著出版、二〇〇五年)
大久保純一「広重に見る江戸名所絵の定型」(『美術史』一四五、一九九八年)
大久保純一『広重と浮世絵風景画』(東京大学出版会、二〇〇七年)
工藤航平「幕末期の江戸周辺における地域文化の自立」(『関東近世史研究』六五、二〇〇八年)
小平市教育委員会編『小平の石造物』(小平市教育委員会、一九九三年)
小金井市誌編さん委員会編『小金井市誌』Ⅱ歴史編(小金井市役所、一九七〇年)
小金井市史編さん委員会編『小金井市史』資料編小金井桜(小金井市、二〇〇九年)
小金井市教育委員会編『名勝小金井桜絵巻』(小金井市教育委員会、二〇〇一年第二版)
齋藤愼一「「小金井桜」の眺め方」(『多摩のあゆみ』一〇一、二〇〇一年)
鈴木章生「『江戸名所図会』にみる隅田川名所と流域の地域特性」(『国立歴史民俗博物館研究紀要』第一三六集、二〇〇七年)
田無市史編さん委員会編『田無市史』第三巻(田無市企画部市史編さん室、一九九五年)
蛭田廣一「紀行文と宿帳に旅を読む」『多摩のあゆみ』六三、一九九一年)
     *
元禄八年二月「玉川上水通両側外の方一間通松苗植の覚」(『小金井市史』資料編小金井桜、三頁)
寛政六年「四神地名録」四之巻(国立国会図書館 WA21-11-4)
寛政九年刊「武野八景」(国立国会図書館 839-73)
享和元年「小金井橋にあそふことは」(『小金井市史』資料編小金井桜、九六頁)
享和三年「享和雑記」(『小金井市史』資料編小金井桜、一一〇頁)
享和三年「玉川上水起元并野火留分水口之訳書」(『小金井市史』資料編小金井桜、一五頁)
享和三年「小金井橋花見の記」(『小金井市史』資料編小金井桜、一〇二頁)
享和三年「富士三十六景 武蔵小金井」(国立国会図書館 寄別1-9-1-1イ)
文化三年二月「愛日楼文詩」(『小金井市史』資料編小金井桜、一二三頁)
文化三年以降刊「金井橋桜標」(『名勝小金井桜絵巻』、七頁)
文化五年刊「仮名略文むさしの八景」(東京都立中央図書館加賀文庫)
文化六年「一話一言」(『小金井市史』資料編小金井桜、一三二頁)
文化七年三月「碑文石建立入用金子御寄附請取覚」(『小金井市史』資料編小金井桜、一七頁)
文化七年「遺愛花」(三康文化研究所附属三康図書館所蔵)
文化八年「武蔵野並木桜筆記」(『小金井市史』資料編小金井桜、一三七頁)
文化一三年「武蔵野花見記」(『小金井市史』資料編小金井桜、一四八頁)
文化一五年「川越松山之記(川越松山巡覧図誌)」(『小金井市史』資料編小金井桜、一五五頁)
文化年中「武蔵演路」(『小金井市史』資料編小金井桜、七八頁)
天保五年刊「江戸名所図会」巻四上(国立国会図書館 839-57)
弘化二年三月「玉川上水縁小金井桜枝手折厳禁の触廻状」(『小金井市史』資料編小金井桜、二七頁)
嘉永二年正月「玉川上水縁通桜苗木植付廻状」(『小金井市史』資料編小金井桜、二八頁)
嘉永三年二月「玉川上水縁桜苗木植立の控」(『小金井市史』資料編小金井桜、二九頁)
嘉永三年二月「桜苗植付手控帳」(『小金井市史』資料編小金井桜、三二頁)
嘉永四年二月「小金井橋勧化帳」(史料集二三、二三三頁)
嘉永五年二月「桜木世話に付き廻状」(『小金井市史』資料編小金井桜、三七頁)
嘉永五年二月「御触書之事」(斉藤家文書D-6-39)(『小金井市史』資料編小金井桜、三七頁)
安政二年八月「玉川上水縁桜苗木植付仕方并に古木本数書上」(『小金井市史』資料編小金井桜、四〇頁)
安政二年八月「桜苗木肥料代下付境新田外三ケ村受取書」(『小金井市史』資料編小金井桜、四一頁)
安政三年二月「玉川上水縁通桜木員数田無村書上帳」(『小金井市史』資料編小金井桜、四五頁)
安政三年二月「御上水縁通桜木惣数書上の覚」(『小金井市史』資料編小金井桜、四六頁)
安政三年二月「玉川上水縁通の桜苗木植付終了に付き届」(『小金井市史』資料編小金井桜、四八頁)
安政三年三月「梶野新田他四ケ村御上水桜諸入用四ケ村割合帳」(『小金井市史』資料編小金井桜、四九頁)
安政三年「学海日録」(『小金井市史』資料編小金井桜、二〇四頁)
(年未詳)「江戸近郊八景之内 小金井橋夕照」(国立国会図書館 WA33-5)
(年未詳)「江戸名所花暦」金井橋満開(早稲田大学図書館 ル04-04704)
(年未詳)「富小路様御添削并御歌 金井のゆきゝ」(史料集二八、二二九頁)
(年未詳)「三十六花撰 東都小金井さくら」(国立国会図書館 寄別2-7-1-7)
 
 第五節 村を守る
安藤陽子「維新期多摩郡の管轄替えと行政区画」(多摩川流域史研究会編『多摩川・秋川合流地域の歴史的研究』多摩川流域歴史研究会、一九八九年)
岩田みゆき『黒船がやってきた』(吉川弘文館、二〇〇五年)
大石学監修 東京学芸大学近世史研究会編『千川上水・用水と江戸・武蔵野』(名著出版、二〇〇六年)
落合延孝『八州廻りと博徒』(山川出版社、二〇〇二年)
葛西重雄・吉田貫三『八丈島流人銘々傳』(吉田南光園、一九六四年)
関東取締出役研究会編『関東取締出役』(岩田書院、二〇〇五年)
北原糸子「不行跡と博奕打」(『日本村落史講座』7 生活Ⅱ近世、雄山閣、一九九〇年)
熊沢徹「幕末の軍制改革と兵賦徴発」(歴史科学協議会『歴史評論』四九九、一九九一年)
久留島浩『近世幕領の行政と組合村』(東京大学出版会、二〇〇二年)
久留島浩・三野行徳「幕末維新期の武士」(趙景達・須田務編『比較史的に見た近世日本』東京堂出版、二〇一一年)
園田英弘『西洋化の構造』(思文閣出版、一九九三年)
高尾善希「博徒「小川の幸蔵」とその時代」(北原進編『近世の地域支配と文化』大河書房、二〇〇三年)
高橋敏『国定忠治』(岩波書店、二〇〇〇年)
蛭田廣一「侠客小川の幸蔵と五〇両の玉子焼き」(『多摩のあゆみ』七三、一九九三年)
松尾正人「戊辰内乱と町村支配」(『関東近世史研究』三七、一九九四年)
松方冬子『オランダ風説書』(中央公論新社、二〇一〇年)
宮沢孝至「武蔵国「改革組合村」編成における「通り」と「組合限石高」について」(新宿歴史博物館編『武蔵野国豊島郡角筈村名主 渡辺家文書』第三巻、一九九五年)
皆木繁宏『小金井小次郎伝』(小金井新聞社、一九七五年)
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宝暦九年閏七月「乍恐以書付奉願上候」(史料集一五、二二五頁)
文化二年三月「文化元年子九月六日ヲロシヤ船壱艘渡来先年於松前被下置候信牌之写并口書」(當麻家文書G-5-1)
文化三年「文化三年カラフト島へ異国船来航の節届書并指図書写」(當麻家古書)
文政二年「宗門人別帳」(小川家文書F-1-21)
文政一一年六月「被仰渡小前御請証文」(當麻家文書D-1-9)
天保六年九月「差出申一札之事」(史料集一六、一五頁)
天保一三年八月「差上申一札之事」(史料集一六、四一頁)
天保一四年「乍恐以書付奉申上候」(史料集一六、四五頁)
天保九年七月「武蔵国多摩郡田無村組合之内鈴木新田諸商渡世向取調書上帳并質屋渡世別書書上帳共 控」(史料集一九、一二〇頁)
嘉永二年四月「江川太郎左衛門より申上書写」(小川家文書G-5-1)
嘉永六年一〇月「御備筋御入用之内御支配所村々献金書上控」(斉藤家文書G-5-1)
嘉永七年正月「御用留」(史料集七、四〇九頁)
嘉永七年二月「亜美利加大合衆国願書之写」(斉藤家文書D-2-8)
安政三年六月「差上申預り一札之事」(史料集一六、七四頁)
安政五年六月「乍恐以書付奉申上候」(史料集一八、一二四頁)
文久二年「御用留日記帳」(国文学研究資料館史料館編『農民の日記』史料叢書5、一一〇頁)
文久二年「(御用留)」(小川家文書D-6-95)
文久三年「御用留」(史料集八、一五三頁、一五八頁)
文久三年「文久当役日誌」(東大和市内野家文書「里正日誌」)
元治二年正月「農兵御取立ニ付御支配所村々献金書上」(『東村山市史』8資料編近世2、八五一頁)
元治二年「御用留」(史料集八、二〇五頁、二一七頁、二一八頁)
元治二年「壱番 諸御触書」(小川家文書D-6-99)
慶応元年六月「規則書・申渡書・火入稽古致し候者心得方」(斉藤家文書G-5-1)
慶応元年一二月「兵賦人共御給金并御仕法立御受書写」(斉藤家文書G-5-6)
慶応元年「弐番 諸御用向 御触書留 村方用向控帳」(小川家文書D-6-100)
慶応二年正月「(市場再興ニ付取極議定)」(史料集一九、三一〇頁)
慶応二年一二月「日光御法会御国役御取締御出役道案内給分寄場諸入用農兵稽古着代 四口割合帳」(史料集二九、一四七頁)
慶応二年「壱番 諸御用向控帳」(小川家文書D-6-103)
慶応二年「農兵出席控」(斉藤家文書G-5-7)
明治二年「明治二年己巳里正日誌 巻一」(東大和市教育委員会編『里正日誌』第一〇巻、三二九頁)
明治三年三月「議定書」(近現代編史料集五、四頁)
明治三年三月「乍恐以書付奉申上候」(史料集一六、一〇八頁)
明治六年一月「拝借銃炮取調書上」(斉藤家文書G-5-12)
明治一〇年九月「書上留」(斉藤家文書D-6-94)
明治一五年「落花清風 慶応水滸伝」(国文学研究資料館所蔵)
(年未詳)一〇月「(当申年諸入用割合ニ付廻文)」(鈴木家文書D-1-18)
(年未詳)「(幸蔵御探索御取調之上御咎願)」(史料集一六、一五五頁)
(年未詳)八月「(召捕状願差出ニ付早々退去勧告の密書)」(史料集一六、一三五頁)
 
 第六節 幕末の三つのたたかい
久留島浩・三野行徳「幕末維新期の武士」(趙景達・須田努編『比較史的にみた近世日本』東京堂出版、二〇一一年)
須田務『幕末の世直し 万人の戦争状態』(吉川弘文館、二〇一〇年)
飯能市郷土館『飯能戦争 飯能炎上』(飯能市郷土館、二〇一一年)
府中市郷土の森博物館『アウトローたちの江戸時代』(府中市郷土の森博物館、二〇一一)
保坂智『百姓一揆とその作法』(吉川弘文館、二〇〇二年)
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元禄四年「元禄四年未馬指給帳」(史料集三〇、二五五頁)
享保一五年正月「享保十五年戌正月より伝馬順廻帳(史料集三〇、二五五頁)
明和八年三月「村鑑帳」(史料集一、五二頁)
文化二年六月「上板橋宿伝馬一件 御駕籠訴願書之通り」(史料集三〇、二七七頁)
文化二年七月「議定証文之事」(史料集三〇、二八五頁)
文化二年七月「乍恐依書付奉願上候」(史料集三〇、二八六頁)
文化二年七月「乍恐書付を以奉願上候」(史料集三〇、二八八頁)
天保一五年九月「乍恐以書付奉願上候」(史料集三〇、三三九頁)
弘化四年一二月「御用御伝馬勤役賃銭割合帳」(史料集三〇、三四三頁)
嘉永三年四月「乍恐以書付奉願上候」(史料集三〇、三五〇頁)
嘉永三年八月「村差出明細書上帳」(史料集一、一三一頁)
安政四年九月「村差出明細帳」(史料集一、七〇頁)
安政四年九月「村差出明細帳」(史料集一、一六七頁)
文久元年七月「甲州道中府中宿より御伝馬助合差村致候ニ付御免歎願書差出候控」(史料集三〇、三六一頁)
慶応二年九月「肥代金拝借願書」(『武蔵野市史』資料編、三九八頁)
慶応二年「土民蜂起打毀顛末見聞漫録」(『武州世直し一揆史料(一)』近世村落史研究会、二八七頁)
慶応二年「慶応二年丙寅御用筆記」(東大和市教育委員会編『里正日誌』第九巻、二四〇・二五六頁)
慶応二年「慶応二寅月諸方打毀騒動并窮民救記」(『武州世直し一揆史料(二)』近世村落史研究会、一一一頁頁)
慶応二年「県居井蛙録」(府中市郷土の森博物館『アウトローたちの江戸時代』(府中市郷土の森博物館、二〇一一年、六六頁)
慶応二年「壱番 諸御用向控」(小川家文書D-6-103)
慶応三年六月「御備場規則連名証・御警固人仮規則書」(滝島家文書G-5-6)
慶応三年七月「小遣覚帳」(滝島家文書G-5-8)
慶応四年正月「御用留」(史料集八、三〇四頁)
慶応四年正月「壱番 諸御用向控帳」(小川家文書D-6-108)
慶応四年五月「覚」(小川家文書G-5-26)
慶応四年五月「感状之事」(小川家文書G-5-27)
明治二〇年「業務沿革及出品者の履歴」(近現代編史料集五、三八頁)
(年未詳)「口上」(滝島家文書G-5-9)
 
 第七節 品川県庁におしかける
伊藤好一「東京府における旧品川県社倉金の返還問題」(『地方史研究』 一〇六、地方紙研究協議会、一九七〇年)
伊藤好一「埼玉県における旧品川県社倉金の返還問題」(『隣人』1、一九七一年)
藤野敦「品川県社倉騒動の背景と影響」(『多摩のあゆみ』五八、一九九〇年)
藤野敦「明治初年、東京隣接直轄県政と惣代農民の経済的展開」(竹内誠編『近世都市江戸の構造』、一九九七年)
武蔵野市史編纂委員会『武蔵野市史』続資料編一(武蔵野市役所、一九六八年)
森安彦「明治初年、東京周辺における農民闘争」(佐々木潤之介編『村方騒動と世直し 上』青木書店、一九七二年)
森安彦「「御門訴」の展開過程-明治初年品川県社倉騒動-」「明治初期の多摩」(『多摩のあゆみ』五八、一九九〇年)
森安彦「維新権力と民衆の対応」(森安彦編『地域社会の展開と幕藩制支配』名著出版、二〇〇五年)
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明治二年一一月「社倉御取建ニ付持高書上帳」(史料集一八、一八頁)
明治二年九月「建言」(故・井口忠左衛門百四十回忌記念会編『武蔵国多摩郡関前新田名主 井口忠左衛門と御門訴事件』岩田書院、三〇七頁)
明治二年一二月「社倉御取建ニ付持高書上帳」(史料集一八、二七頁)
明治三年正月「御門訴一件ニ付村々建札写」(史料集一八、四〇頁)
(明治三年)正月「覚」(史料集一八、四三頁)
(明治三年)二月「弾正台探索書」(『田無市史』第二巻近代・現代史料編、一七九頁)
(明治三年)「上」(史料集一八、五八頁)
明治一八年「むさし野の涙」(武蔵野市史編纂委員会編『武蔵野市史』続資料編一、一七〇頁)
 
おわりに
明治五年五月「差出申一札之事」(斉藤家文書D-3-9)
明治五年八月「村役人人選議定」(深谷家文書)
明治五年「村役人改称外取調伺書」(史料集一八、一三一頁)