近現代編の編さん方針と編さん過程

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 小平市史編さん事業が正式に発足したのは、二〇〇八(平成二〇)年一〇月のことです。近現代編の編さんの基本方針は、市民のくらしを中心にして、政治や産業、教育、文化などを全体としてとらえるところにおきました。
 基本方針を立てるうえで、近現代編の監修者が、かつて小平市の隣にあった田無市の田無市史編さん事業に参加した経験をもっていたことが大きかったのです。田無市史編さん事業では、通史編の刊行にあたり、「『田無市史』は、どこまでも、市域住民の生活と生業の具体相と、信仰・教育・文化など、ひろい意味での地域生活文化の諸相を、日本歴史の流れとかかわらせながら、歴史的に展望できるものにしよう」ということを基本方針としました(田無市史編さん委員会『田無市史 第三巻 通史編』一九九五年)。これは、それまでの自治体史が、「支配や行政の歴史中心に叙述されることに対する批判的反省」にもとづくものでした。ただし、この方針を実行に移すことは大変に難しいことだったとして、史料の問題をあげています。田無市史では、明治以降の役所に残る行政文書とともに、市内に残された民間の史料を悉皆(しっかい)的に調査し、「ひろい意味での地域生活文化の諸相」を明らかにできる史料の収集につとめました。
 小平市史の近現代編では、監修者の田無市史での経験をふまえ、編さん方針の基本を、市民の「くらし」を中心にして小平地域の政治・産業・教育・文化などを幅広く明らかにすることにおき、そこから市内の史料の悉皆調査を積極的にすすめました。
 悉皆調査を心がけたのには、いくつかの理由があります。小平の場合、『小平町誌』で先鞭をつけられた近世史の研究は、その後、史料の発掘や史料集の編さんに結びついたのに対して、小平の近代の場合には、解明が空白の状態におかれたために、研究の基礎となる史料の収集や史料集の編さんもほぼ手つかずの状態にありました。それゆえ、今回の編さん事業では、小平の近現代の史料の収集・編さんについて、基礎からはじめなければならなかったのです。それに加えて、小平の場合には、小平町役場や小平市役所などの公文書の残存がきわめて限られていました。小平市史では、田無市史同様に、「くらし」を中心にして編さんするために広く民間の史料の収集につとめましたが、それは公文書の不足を補うためにも必要なことだったのです。また、『小平町誌』編さんからは半世紀以上が経過し、『小平町誌』では扱わなかった一九六〇年代以降の現代史の編さんのためにも、現代史料の収集をひろくおこなう必要がありました。
 以上の史料調査をふまえ、近現代編を編集するために、二〇一〇(平成二二)年から二〇一二(平成二四)年にかけて、『小平市史料集 近現代編』を第一集から第五集まで発刊してきました。第一集『小平村議会会議録』(上下巻)、第二集『小平町議会会議録』、第三集『小平市関連新聞記事集』(上下巻)、第四集『小平市の市民生活』、第五集『小平の近現代基礎史料』です。これらの史料集の編集と刊行をふまえて、本書の編さんと発刊に臨んでいます。