御門訴事件の勃発

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品川県があらたに設立した社倉制度では、県下で一律の基準を設け、一軒あたり持高五石以上の家は一石につき米二升、高五石未満の家は、上中下の三等に分け、上は一軒あたり四升、中は三升、下は一升五合を納めさせることにした。従来の社倉制度との大きな違いは、出穀の基準が地域を問わず一律になったこと、割りあてられた穀物を村々ではなく県が一括して管理し、金納としたことである。地域に備荒貯蓄するのではなく、県が社倉金を一括して徴収するため、事実上の増税と認識された。
 近世の税は、地域の成り立ちや生産力が念入りに調整されて算定され、多種多様な免除と保護がなされていた。しかし、そうした慣行を一切無視して基準をつくったため、小平を中心とした村々から、大規模な反対運動が起こった。当初反対運動に参加したのは、大沼田新田・鈴木新田・野中新田善左衛門組・同与右衛門組(以上現小平市)・関前新田(現武蔵野市)・田無新田・上保谷新田(以上現西東京市)、関野新田・梶野新田(以上現小金井市)・柳窪新田(現東久留米市)、戸倉新田・内藤新田・野中新田六左衛門組(以上現国分寺市)の一三か村である(田無新田は早々に離脱し一二か村となった)。すべて、享保の新田開発政策によって開かれた武蔵野新田であった。これらの村々は、近世における助郷の減免などの嘆願で、劣悪な環境のなかで開発した武蔵野新田で、幕府からの補助金なしには生産や生活は成り立たないため、これまで養料金(武蔵野新田に下賜された補助金)の受給を受けてきており、新たな負担を負うことは不可能であると主張してきた。この武蔵野新田であるという意識は、税の減額や負担回避、保護を勝ち取るなかで定着してきた自己認識、自画像であった(近世編第三章第六節)。品川県の社倉政策に対しても、上記一二か村は、この認識にもとづいて反対運動を繰り広げたのである。
表1-1 御門訴参加12か村の概要
村名現在の市名村高(石)戸数(軒)
新座郡上保谷新田西東京市183.42337
多摩郡関前新田武蔵野市195.65334
多摩郡梶野新田小金井市196.99639
多摩郡関野新田小金井市202.20348
多摩郡鈴木新田※小平市747.452111
多摩郡大沼田新田※小平市320.83845
多摩郡野中新田与右衛門組※小平市466.87758
善左衛門組※小平市369.87750
六左衛門組国分寺市364.43545
多摩郡戸倉新田国分寺市133.38847
多摩郡内藤新田国分寺市112.22022
多摩郡柳窪新田東久留米市130.34917
(注)※小平市域の村々

 訴願を一貫して主導したのは村役人層であった。自分たちにとっては実質的には減免となるような条件の提示もあったが、それを受け入れず、一貫して小前層の負担の免除を訴えた。品川県が公平負担を求めたのに対し、一二か村は、享保新田と古新田・古村との生産力の違い、村内での負担可能な階層と不可能な階層との区別を、これまでの慣行を根拠に主張した。
 品川県はたびたび役人を派遣して社倉政策の受け入れを迫った。一二か村は、小前層の負担免除が受け入れられないだけでなく、訴願のために品川県庁に赴いた村役人が軟禁されるなどの事態に直面し、門訴を決意する。門訴とは、門内に入って強訴とされるのを避けるため、訴える相手の門前で訴願するもので、近世においては合法的な訴願行為と考えられていた。しかし、品川県庁の門前で訴願する百姓たちに対して県側の兵が斬りかかり、門訴勢はその場で五一名が捕縛されてしまう。その後、関係村役人が一斉に罷免され、一部の村役人は逮捕されて、獄死する者も出るなど、苛烈な処罰がなされた(表1-2)。これまで認められてきた論理と方法で訴えたにもかかわらず聞き入れられず、さらには武力で弾圧されるに至ったのである。一八七〇年二月には、「告諭」と題する高札が立てられた。「慎んで県庁厳戒告諭する処の旨を聞け」で始まるこの高札は、明治維新によって政治体制が変わったことを強烈に印象づけるものであった(御門訴事件については近世編第三章第八節も参照)。
表1-2 御門訴事件処罰一覧
村名名前役名など処罰
上谷保新田伊左衛門名主名主役取放/杖70
元右衛門組頭徒3年
国蔵百姓代牢死
内藤新田治助名主名主役取放/笞30
六兵衛年寄牢死
大沼田新田弥左衛門名主名主役取放/笞30
半兵衞組頭組頭役取放/屹度御叱
梶野新田藤三郎名主名主役取放の/笞30
柳窪新田惣次郎名主名主役取放/笞30
関野新田清十郎名主名主役取放/屹度御叱
富蔵組頭組頭役取放/屹度御叱
邦蔵清十郎悴屹度御叱
野中新田六左衛門組喜三郎組頭組頭役取放/屹度御叱
関前新田忠左衛門名主牢死
野中新田善左衛門組藤右衛門組頭組頭役取放/屹度御叱
鈴木新田竜平組頭組頭役取放/屹度御叱
戸倉新田市三郎年寄年寄役取放/屹度御叱
野中新田与右衛門組定右衛門名主牢死
八右衛門百姓代百姓代取放/屹度御叱
(注)このほか小前百姓4名が牢死、12か村の全ての名主・年寄・組頭・百姓代・小前惣代計55名が「役儀取放急度御叱」。