大区小区制と村用掛・代議人

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戸籍区が行政事務を担うようになるなか、政府は寄場組合など旧来の組織網を廃止し、全国を統一的に大区と小区に編成する方針を示す。神奈川県ではまず、一八七二(明治五)年一一月、旧来の寄場組合などを廃止し、戸籍区の戸長・副戸長を区長・副区長とした。さらに一八七三年四月、「区画改正の大略」を定め、五月より大区小区に相当する区と番組の導入をはかった。これにより、県下を二〇の区に分けて区長・副区長を置き、そのもとに小区に相当する番組を置いて、各番組に戸長・副戸長を置くことになった(区番組制)。番組は二千石を目安に数か村が組み合わされて編成された。戸籍区の規模と比較すると、区は戸籍区よりも広く、番組は戸籍区よりも狭い。区―番組の範囲は、近世の寄場組合の大組合・小組合に近く、寄場組合が復活したかたちとなった。小平の村々は田無村下田半兵衛を区長とする神奈川県第一一区に編成され、戸籍区五〇区の小川村・小川新田・回田新田は九番組、戸籍区四九区の野中新田両組・鈴木新田・大沼田新田は八番組となった。さらに、一八七四年六月五日には、区を大区に、番組を小区へと改称した。これにより全国と同様の大区小区制となった。小平の村々は、第一一区九番組が第一一大区九小区に、第一一区八番組が第一一大区一小区となった。

図1-4 大区小区制下の小平

 区番組制・大区小区制の導入により、近世以来続いていた行政単位としての「村」は、いったん消滅することになる。行政単位は大区と小区とされ、小区の戸長・副戸長は、一〇〇戸に五人の割合で選ばれた代議人による選挙で、大区の区長・副区長は、戸長・副戸長による選挙で選任されることになった。また、区長・副区長、戸長・副戸長は、一八七三年三月の布達で准官吏の扱いとなり、政府の地方行政の末端と位置づけられることとなった。しかし、あとでみるように、実際の仕事は村単位でおこなわれていたため、新たに旧村ごとに置かれた村用掛が、各村において重要な役割を担うことになった。それとともに、戸長・副戸長を選ぶために選出された代議人も、村の意見を代表する役割を果たす職として重要となった。