村の郵便

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維新後の村役人層にとって、通信と金融とを担う拠点となる郵便局の設立は、地域における重要な役割であった。逓信制度は一八七一(明治四)年頃より整備されはじめ、明治一〇年代に入ると、全国で郵便局の設立が盛んになる。政府は郵便局の設立を地域の自己負担によって進めようとしたため、地域が通信と為替網の恩恵にあずかれるかどうかは、村役人の努力にかかっていたのである。
 小平では、遅くとも一八八一年には、四等小川郵便局が開局していた。この頃、北多摩郡では府中駅・田無町・下布田村(現調布市)・拝島村(現昭島市)に郵便局が開局していた。いずれも宿駅機能をもっていた村であった。開局時の小川郵便局の郵便取扱(局長)は、宿を経営していた森田蔦吉(つたきち)である。翌一八八二年には小川弥次郎が郵便取扱となって郵便局を小川家へ移転した。そして、一八八六年に小川郵便局が三等郵便局に昇格すると、小川弥次郎は郵便局長となっている。一八八三年の小川郵便局の集配地域と函場(はこば)をまとめたのが表1-7である。所轄範囲は小川村から北・西・南の地域に広がり、もっとも遠いのは岸村(現武蔵村山市)で、約一二キロ離れている。管轄戸数は二三四二戸である。集配にあたっては、各村に切手売下所があり、その門前に函場というポストが置かれていた。切手売下所の設置も村役人の役割だったようで、管轄村々の村役人が、自宅に切手売下所を設立している。小川村から東の地域は田無町の管轄だった。
 
表1-7 小川郵便局集配地域・函場一覧
村名現在の市名人口戸数集配里程開函証印番号売下人姓名
小川村小平市14312421里  
小川新田小平市582841里16号並木源左衛衛門
上鈴木新田1922723丁  
野中新田六左衛門組国分寺市3435035丁15号関田安太郎
榎戸新田2233515丁14号榎戸広太郎
大岱村東村山市545761里1号市川歌五郎
久米川村12772261里2号町田六左衛門
野口村110418130丁3号小島龍叔
回り田村101515327丁4号小町藤三郎
清水村東大和市4486820丁  
狭山村6099415丁5号関田久米右衛門
高木村3695523丁6号宮鍋庄兵衛
奈良橋村4547415丁7号鎌田喜三郎
蔵敷村3926215丁8号鈴木重蔵
芋窪村95417022丁9号石井義之助
中藤村武蔵村山市270240926丁10号渡辺市太郎
横田村2163827丁11号波多野市五郎
三ツ木村126321625丁12号水越鉄三郎
岸村508823里13号福井半右衛門
19ヶ村 14627234215里30丁  
(出典)小川家文書「小川郵便局所轄郵便切手売下所及函場取調表」より作成。