小平でも警察分署を求める動きがあり、一八七八年、小川分署の設立が申請される(「警察御分署設立願」)。「人家稠密(ちゅうみつ)之場所」で、青梅街道・五日市街道が横断していて東京へ行くための人の出入りが多い、というのが申請の理由であった。小川村の西部、青梅街道と立川街道が分岐する三叉路にあった、小川寺持地蔵堂を分署にあてたいとしている。ちょうど小川村・小平の西の入り口にあたり、人の出入りを監視するには格好の場所だった。分署の設立は認められ、東京府士族水谷正令が巡査として赴任してきた。小川分署は一一大区九小区を管轄した。ほかに小平では一小区に属する東部地域、野中新田両組・大沼田新田・鈴木新田を管轄する野中分署も野中新田与右衛門組に設立された。その後、一八八五年に警察署の編成替えがあり、小川・野中分署は廃止され、田無分署の管轄下となった。
図1-6 小川分署の場所(「警察御分署設立願」)1878年