明治一〇年代の農業生産

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明治一〇年代になると、より詳しい物産表が一小区と九小区に残されている。そこから、両区に属する野中新田両組・大沼田新田と、小川村・回田新田の、一八七八・七九(明治一一・一二)年時点の農業生産のようすをみておきたい。
 九小区小川村・回田新田の一八七八年の物産を書き上げたのが、表1-10である。回田新田の普通農産として書き上げられているのは米・大麦・小麦・粟・稗(ひえ)・蕎麦・甘藷(かんしょ)(さつまいも)・馬鈴薯(ばれいしょ)(じゃがいも)である。作付面積では大麦・小麦が中心で、全耕地の約五割を占める。これに粟・蕎麦を加えた四種で全体の八割を超えており、この四種が中心的な作物であったことがわかる。米・甘藷・馬鈴薯は、いずれも近世後期以降に作付けされた作物であるが、作付面積では、三種をあわせても全体の二割程度である。商品作物となる特有農産には、丘米(りくとう)・繭・生糸・藍葉・製茶・菜種があげられている。特有農産のなかでもっとも生産額の多かったのは生糸で、特有農産のうち七四%の売り上げを占める。繭とあわせれば九割を超えており、養蚕がこの地域の特有農産として、大きな割合を占めていたことがわかる。農業全体の収入のなかで、普通農産全体が約二五%なのに対し、生糸のみで五六%、繭とあわせて約七〇%を占めており、回田新田は養蚕・製糸といった特有農産の占める割合が高かった。
表1-10 1878年9小区物産表
 小川村回田新田
収穫反別産額収入反別産額収入
5.4.30.16.49243.280.29.8.263.111.86879.111.8
大麦94025.410812162.008.979.925.491.885183.774.2
小麦85022.9237.6997.924.172.3.2023.052.275219.565.0
74820.2446.41116.004.658.7.2018.737.94494.862.1
541.510886.400.46.1.201.912.249.790.2
蕎麦56415.2394.81500.246.240.8.0113.033.558127.522.9
甘藷2827.6225600斤1804.807.424.1.107.719176斤153.413.5
馬鈴薯262.87.1210240斤2522.8810.422.4.147.117860斤214.324.9
丘米  189.41041.704.3  17.53141.420.9
 8620斤6896.0028.5 732斤585.6013.3
生糸 724斤3127.6812.9 574斤2479.6856.2
藍葉 72480斤1884.487.8 4077斤106.002.4
製茶 2580斤645.002.7 367斤91.752.1
菜種  62.5406.251.7  426.000.6
(出典)「回田新田普通農産表」「回田新田特有農産表」「小川村普通農産表」より作成
(注)反別:反.畝.歩、%/産額:石.斗.升/収入:円(単価×産額)、%

 小川村も、普通農産・特有農産の品目は回田新田と同様で、作付面積比もほぼ同様である。大きく異なるのは収入の比率で、小川村では普通農産が五割弱を占めており、普通農産を基盤としていた。特有農産では、繭の占める割合が約三割に対し、製糸は一三%であり、回田新田と比べて繭の占める割合が大きかった。
 一小区の一八七九年の物産表をまとめたのが表1-11である。普通農産・特有農産の品目は九小区と同様で、三か村とも、大麦・小麦・粟・蕎麦の作付面積が八割前後を占める。野中新田善左衛門組では、小麦が収入の約三割を占め、普通農産が収入の八割以上を占めており、特有農産の占める割合は低い。野中新田与右衛門組も小麦が約三割を占め、普通農産が八割以上を占めている。大沼田新田では、普通農産の占める割合が約七割になる一方、製茶が収入全体の一八%を占めており、製茶に力を入れていたことがわかる。
表1-11 1879年1小区物産表
 野中新田善左衛門組野中新田与右衛門組大沼田新田
品目反別産額収入反別産額収入反別産額収入
2.5.160.21.91515.550.37     22.6.1.2.520.343164.784.0
大麦230.522.1276.6553.2013.1229021.140681215.525027.4250500.0012.0
小麦27526.42201375.0032.6234825.3268.41677.532.020021.9140875.0021.1
210.320.2178.755804.4019.0820314.8172.4775.814.817519.2140630.0015.2
蕎麦13713.2109.6427.4410.1415411.2107.8420.428.013014.2104405.609.8
甘藷938.965200斤326.007.731007.370000斤3506.7758.252500斤262.506.3
里芋938.933300斤166.503.95805.848000斤2404.6606.636000斤180.004.3
  108斤76.681.82  198斤140.582.7  187.003125斤132.773.2
藍葉  6000斤240.005.69  7500斤3005.7  6000斤240.005.8
製茶  850斤203.154.82  670斤281.45.4  3125斤746.8818.0
菜種  527.500.65  527.50.5  316.500.4
丘米     20014.529.5212.44.1     
(出典)「農産表」より作成。(注)反別:反.畝.歩、%/産額:石.斗.升/収入:円(単価×産額)、%

 このように、明治一〇年代の小平では、商品作物の展開に村による違いがみられた。五か村を商品作物の割合が高い方から並べると、回田新田、小川村、大沼田新田、野中新田両組となる。商品作物の展開が進んでいた回田新田と小川村で養蚕・製糸が広がり、特に回田新田が製糸、小川村が養蚕に力を入れていたため、両村におよばなかった大沼田新田が製茶に村の将来を託そうとしていた、という構図を描くことができそうである。あとで触れるが、回田新田と小川村は、地価修正反対運動で積極的に動き、回田新田は最後まで県に対して妥協しなかった。この行動の背景には商品作物の展開が影響していたと考えられる。