このように、生糸生産にかんしては粗製濫造対策がとられはじめたが、もう一つの重要輸出品であった茶に対しては、政府は対策に消極的であった。蚕種製造規則が公布されてまもない一八七〇年一〇月、伊勢町(現中央区)の浅井良甫らにより、製茶の粗製濫造取り締まりを求める願書が民部省宛に出されたが、聞き入れられなかった。それから一八七三年一一月までの五回にわたり出願は繰り返されたが、政府は取り上げなかった(「先義会社創立録」)。この五回目の願書が當麻家文書に残されているので内容をみておきたい(近現代編史料集⑤ No.一六)。
願書の署名者は浅井良甫外一七名である。その内七名が多摩地域の人物で、小平では大沼田新田の當麻弥左衛門、尾崎清五郎が署名している。當麻は立会人の一人となっており、多摩地域を代表する一人であったと思われる。この願書ではまず、「茶蚕の両種」が最も重要な産物であるとし、その両品で利益を貪るための「悪品」濫造がおこなわれるようになったことから、損害が生じるようになったと指摘する。そして、養蚕ではその対策として「規則」ができたが、茶業ではそのような対策がとられなかったために、一八七二年には、アメリカにおいて日本茶の声価が下がり、損失を被る者が多く出てしまったと述べる。このことは「皇国の御名聞」に関係し、「商売商産の損害」を生じることにもなるので、「養蚕同様御規則」を制定してほしいと主張するのである。
この願書に登場する養蚕の「規則」というのは、もちろん「生糸製造取締規則」である。この規則のポイントが生糸改会社を通じた取り締まりであったことは先に触れたが、この願書においても取締会社の設立が目指されていた。浅井ら東京の署名者五人は、取締規則制定を求める願書とは別に、大久保一翁(いちおう)東京府知事宛に、「先義会社」設立を求める願書も規則案を添えて提出した。その規則案によると、会社は「偽りの濫製の品」をなくすために、「有志の者を募り約定を設け」て設立するもので、「取締役」「世話役」を置き、「取締役」は製茶家を巡視して製造の茶に検印を捺し、検印のない茶を売買した者には罰金を命じることになっている。また、「取締役」は最寄りの製茶家の培炉(ほいろ)数を取り調べて「製造人姓名帳」を作成し、管轄庁に提出することになっており、鑑札の管理も会社に任されることになっていた。無鑑札の製茶家には罰金が科せられることになっており、「有志の者」による会社とはいっても、製茶業者全体を取り締まる強制力のある同業組合として構想されていたことがわかる。
表1-16 先義会社願書署名者 | |
東京府 | 浅井良輔(伊勢町) 鶴島治郎兵衛(駒込青物店) 黒沢卯兵衛(元数寄屋町) 西田吉五郎(東福田町) 柴田保賢(八丁堀岡崎町) |
神奈川県 (多摩地域) | 磯沼伊織(小比企村) 中西清之助(小比企村) 當麻弥左衛門(大沼田新田) 尾崎清五郎(大沼田新田) 青木貞吉(留所村) 西山孝吉(坂坪村) 大村喜左衛門(八王子八日市宿) |
神奈川県 (多摩以外) | 和嶋真平(横浜弁天通り) 萩原七五郎(太田町六丁目) 平井善次郎(橋本村) |
埼玉県 | 町田武衛門(大戸村) |
熊谷県 | 當麻弥左衛門(入間郡大岱村) 當麻豊作(入間郡大岱村) |
(出典)近現代編史料集⑤ No.16より作成。 |
當麻家文書には、「明治第六年」の記載がある「結社同盟連印帳 八王子組」と書かれた「盟約書」も残されている。このなかで、「製茶取締会社創立」は「浅井良甫君数歳の宿志」であったと述べ、「左の連名の者相互に協同結社」し、違約のないように連印盟約すると書いている。五回目の願書が出される前の九月には「有志の者協同会合し」、「製茶家及茶商等追々入社」(「先義会社創立録」)することになっていたという。協同結社した「八王子組」も、そのような動きの一つであったといってよいであろう。多摩地域でも茶業者の中に、粗製濫造を一掃するために、国の権力を背景とした同業組合をつうじての取り締まりを求める動きが起こっていたのである。しかし、取締規則の制定、先義会社の設立を求める願いは認められなかった。