茶業組合郡部取締所の設置

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各府県の便宜の地に取締所一か所を設けるとした茶業組合準則にもとづき、「神奈川県茶業組合郡部取締所」が設置された。設立時の史料が確認できていないため、設立時期についてははっきりしないが、一八八四(明治一七)年一二月に県令宛てに出された「北多摩郡茶業組合規約追加改正」に、「各製造人より販売人又は其他に売渡さんとする茶は渾て郡部取締所検査の委任を受けたる各組合委員の検査を受け」との規定が追加されていることから、このときまでに郡部取締所が設立され、各組合の規約が改定されたことがわかる(近現代編史料集⑤ No.二二)。
 少しあとの時期のものだが、一八八六年四月の「郡部取締所規約書認可願」があるので、そこから取締所のおおよその内容をおさえておきたい。取締所の置かれた場所は、八王子の八日町一番地であった。各組合委員中より互選で選ばれる頭取には、北多摩郡茶業組合の委員であった川鍋八郎兵衛が就任している。委員総代が各組合から選出されたが、総代は表1-19のとおりで、三多摩が各三人ずつで多く、神奈川県では三多摩が中心であったことがわかる。頭取の執務は製茶検査をおこなうことで、不都合がないときは「検査証」を交付した。不正茶が発覚した際には、北多摩郡茶業組合規約では除名のうえ、同業者等への告知となっていたが、この規約では「違約金」の取り立てと現品の焼棄とされ、除名の規定はない。全員加入の原則を崩さず、あくまで茶業者全体を組合内に取り込もうとし、違反者は「違約金」で縛ろうとしたのである。他に頭取には、各組合の動静等を毎月一回、各組合の製茶の数量及び価格並びに茶畑反別等を毎年一回、県庁へ報告する役割も課せられ、県の規制が強く働く規定となっていた。
表1-19 郡部取締所の委員総代
郡名委員総代名
北多摩郡宮崎五百里 富沢東作 鈴木作左衛門
南多摩郡竹間弥三次郎 木下文平 渋谷徳二郎
西多摩郡石井太平 山崎利八 田中文平
高座郡榎本熊次郎 佐藤廉
三浦郡高須恒
久良岐郡小林隣之助
鎌倉郡小泉藤作
都築郡秋本久兵衛
橘樹郡椎橋宗輔
(頭取)川鍋八郎兵衛(北多摩郡)
(出典)「神奈川県茶業組合郡部取締規約書」(斉藤家文書H6-5)より作成。

 県は茶業組合結成を求めた当初、「甲二十二号」を発し、組合への未加入、不正茶の製造等に対しては「違警罪」を適用し、二日以上五日以下の拘留または五〇銭以上一円五十銭以下の科料に処す、との強い方針を示していた。取締所の設置で、その方針は取締所をとおした間接的な取り締まりに変化したのであるが、この指導はなかなか徹底できなかった。一八八五年六月一五日、郡部取締所頭取の川鍋は、あらためて県の発した茶業組合結成を求める「甲第十七号」と「茶業組合準則」および「甲二十二号」を示した「諭告」を発し、「創業日尚浅く御趣意の貫徹せさるより無商標にて売品を製造し或は販売を為す」者があるので、「当業者各自に於て最も注意し、御趣意を遵守し、互に気脈を聯通し、該業の隆盛」をはかるようにしてほしいと、茶業者自身の自覚を訴えた(近現代編史料集⑤ No.二三)。それととともに翌一六日には、北多摩郡茶業組合に対し、「神奈川県茶業組合特務巡査藤倉久七」が近く北多摩郡各部へ巡回にいくので、「無証票にて営業を為すもの其他違反犯と認むるもの」は、至急取締所に通知するようにとの通知も発した(近現代編史料集⑤ No.二四)。「違警罪」による「違反者」の取り締まりに触れた上で巡回を実施し、準則の徹底をはかろうとしたのである。