北多摩郡正義派の結成と小平

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北多摩郡倶楽部が開設されてまもなく、北多摩政界は大きく揺れ動くこととなった。開設直前の七月下旬に中村克昌が突然、県議を辞職し、北多摩政界の再編に乗り出したからである。中村が目指したのは、吉野や壮士の一グループであった小川諸氏、市川らの実業者グループと手を切って、壮士勢力を結集した独自のグループ(以後「中克派」と呼ぶ)を形成し、北多摩政界の主導権を握ることであった。中村がそのような思い切った行動に出たのは、神奈川県倶楽部が動き出し、実業者グループを巻き込んだ吉野らの勢力が壮士勢力の押さえ込みをはかろうとしたこと、北多摩郡倶楽部が設置されることになり、北多摩郡の壮士勢力内でも小川諸氏グループに主導権を奪われかねない状況が生まれていたことに危機感を抱き、彼等と離れて政治的純化を果たしたうえで、勢力拡大をはかることが必要だと判断したからだと考えられる。中村は、八月五日、府中中屋において集会を開き、県議の後任候補を鎌田訥郎(高木組合村、現東大和市)と決定する。鎌田の地元である東大和、武蔵村山の地域を自派の地盤とし、勢力拡大の拠点としようとしたのである。小野、町田、市川は、「中村の無断辞職を不平とし」、この集会には参加しなかった(『比留間家日記』八月五日)。吉野は参加したが、鎌田決定をくつがえすことはできなかった。九月二日におこなわれた県議補欠選挙で鎌田は当選、中村のねらいは順調に進むかにみえた。しかし、これに吉野は反撃を加えていく。
 当時、北多摩政界には改進党との結びつきを強めていたグループ(以後「改進派」と呼ぶ)もあった。中村半左衛門を中心とする大神地域(大神組合村、現昭島市)、初代府中町長となった比留間雄亮を中心とする府中地域のグループである。注意しておきたいのは、大神地域は大日本農会の地盤であり、中村も一八八六(明治一九)年五月に会員となっていたことである。比留間も一八八九年一〇月には会員となっている。改進派は実業を重視したグループであったということができる。それゆえ、彼等は実業者グループも組織化していた神奈川県倶楽部に参加していた。このような状況下に中克派が生まれ、吉野らと対立するようになれば、北多摩政界は吉野派、中克派、改進派に三分割されることになり、吉野は北多摩郡で少数派に転落し、主導権を失うことになる。そればかりか、南多摩郡と西多摩郡は、中村克昌らと結ぶ壮士勢力が多数を占めていたため、吉野は三多摩全体でも少数派となってしまう。間近に迫った総選挙の選挙区は三多摩全体が一つの区であったため、それは吉野の総選挙での敗北を意味していた。吉野はこの危機から脱出策を、改進派との連合による北多摩郡内多数派の形成に求めた。九月一一日、吉野は比留間に書簡を発し、改進党への入党を思いとどまらせると共に、「中立の中正派」の結成を提案する。そして、翌一二日、吉野は市川とともに県議を辞職、後任候補に改進派を推すことにした。一七日、府中中屋にて吉野らと改進派との集会が、一八名の出席を得て開かれた。この場で後任候補を中村半左衛門、比留間の二人とすること、「北多摩郡中正派」を組織することが決定された(『比留間家日記』九月一一日から一七日)。「中正派」はまもなく「正義派」と名称を変え、活動を開始した。
 北多摩郡正義派は吉野派と改進派との連合組織であるが、この二派に共通するものは何だったのか。党派名につけられた「正義」という言葉には、二つの意味が込められていたと考えられる。一つは反壮士であり、もう一つは「改良進歩」の活動=実業の重視である。吉野は暴力を用いてでも主張をとおそうとするようになっていた壮士の活動を「邪」とし、その壮士を排撃することを「正義」としたが、壮士への反感は改進派も共有していた。「改良進歩」の活動については、茶業組合に対する姿勢に、壮士らとの違いをみることができる。すでにみたように、壮士は組合による取り締まりなどを「干渉」として排除しようとしたが、正義派に合流した二派は、組合による取り締まりを「改良進歩」の活動として推進していた実業者の側に立っていた。
 正義派結成の集会には、小平村からは小野、町田の二名が参加した。小野、町田ら北多摩郡倶楽部を設立した小平村の壮士らは、正義派の中心部隊として活躍するようになる。正義派の会員数自体も、図2-9に見るように、小平村が一番多かった。このように小平村が正義派最大の拠点となったのは、小川諸氏らと吉野とのつながりが強まっていたという理由のほかに、小平村が「改良進歩」の活動に熱心な地域で、正義派の「改良進歩」重視を歓迎する土地柄だったという要因も大きい。小川諸氏の一人であった小野も、壮士として活躍する以前は、玉川銀行で中心的役割を担っていた実業者で、斉藤忠輔が大日本農会に入会して以降、小平村には大日本農会の会員が増えていた。

図2-9 北多摩郡正義派の村別会員数

 吉野、市川の県議辞職を受けた補欠選挙は一〇月二五日に実施された。正義派の比留間雄亮、中村半左衛門は、中克派の候補をおさえ勝利した。正義派は順調な滑り出しをみせた。