小平に残された戦争記念碑

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小平市内には数多くの従軍記念碑、忠魂碑(以下、戦争記念碑)が存在している。表2-8は小平市教育委員会編『小平の石造物』をもとに、記念碑名、建立時期、建立者、所在地、関連する戦役・任務をまとめたものである。建立時期は、日清戦後から一九二〇年代までが半数以上を占めており、三〇年代から戦時期にかけては一例のみで、敗戦後になると再び増加する傾向にあることがわかる。このなかには戦没者個人の記念碑も数多く含まれている。これらの記念碑は、遺族をはじめ兵事会など出征兵士とかかわりの深い人たちが建立したものが多く、戦没者の慰霊や顕彰をつうじて地域のなかで戦争体験を共有するための一つの手段になったものと考えられる。市内に残された戦争記念碑は、近代日本の戦争が小平の人たちを広く巻き込みながら推進されていった事実を物語っている。
表2-8 小平市内の戦争記念碑
記念碑名建立年建立者所在地関連する戦役・任務
石祠1895真野兵蔵小川町日清戦争
故陸軍歩兵二等卒加藤君墓誌銘碑1896加藤藤蔵小川町台湾守備
竹内宇八之碑1898不詳小川町日清戦争
陸軍歩兵伍長神山力太郎君碑1905神山正作小川町日露戦争
故陸軍輜重輸卒斉藤菊五郎之碑1908斉藤源太郎大沼町(泉蔵院)日露戦争
戦捷記念碑1909小川兵事会小川町(神明宮)西南戦争、日清戦争、日露戦争
従軍記念碑1909不詳小川町(神明宮)日露戦争
忠烈碑1910川窪忠造仲町日露戦争
故陸軍歩兵一等卒森田新平碑1917森田家小川町(小川寺)日露戦争
忠盡碑1920土方光五郎小川町平時(海難事故)
戦役記念碑1923小平村堅中奨兵会花小金井(武蔵野神社)日露戦争
前村寅吉君碑1925前村源蔵喜平町台湾守備
戦役記念碑1926鈴木中鈴木町(稲荷神社)西南戦争、日清戦争、北清事変、日露戦争、台湾守備
増田兄弟忠魂之碑1939増田誠太郎小川町満州守備、日中戦争
純忠之墓誌1946檀信徒並特志者小川町(小川寺)西南戦争、日清戦争、日露戦争、台湾守備、アジア・太平洋戦争
忠霊塔1951不詳小川町(小川寺)不詳
忠霊塔1952平安院信徒一同仲町(平安院)日露戦争、アジア・太平洋戦争
忠魂碑1955戦友一同・氏子中鈴木町(稲荷神社)日中戦争、アジア・太平洋戦争
忠魂永存碑1968氏子中花小金井(武蔵野神社)日中戦争、アジア・太平洋戦争
供養塔1969川原宗八ほか大沼町(泉蔵院)西南戦争、日露戦争、アジア・太平洋戦争
帰還兵士芳名碑1973不詳大沼町(稲荷神社)アジア・太平洋戦争
戦没記念碑1989井上正一ほか17名仲町(熊野宮)日露戦争、アジア・太平洋戦争
(出典)小平市教育委員会編『小平市石造物調査報告書 小平の石造物』(1993年)より作成。

 戦前の日本は「大日本帝国」と呼ばれており、アジアや太平洋地域に広大な植民地・勢力圏を有していた。「帝国」の膨張をもたらしたのは、日清・日露戦争をはじめとする対外戦争であった。ここでいう対外戦争は、植民地・勢力圏の確保・拡張のために日本がおこなった戦争のことであり、国家間・正規軍同士の戦闘に限られない。日清戦後の台湾では、日本支配に反発する台湾住民を弾圧するための掃討戦が展開された。先の記念碑のなかには、台湾での戦闘で命を落とした兵士にかかわるものがいくつか確認できる。そのことは、遺族をはじめとする当時の小平の人たちにとってこうした戦闘もまた地域のなかで共有すべき戦争体験として認識されていたことを示している。
 ここでは、日清・日露戦争や台湾での戦闘など帝国の膨張過程で起こった対外戦争と、明治期の小平村の人たちとのかかわりについて記述する。