表2-8 小平市内の戦争記念碑 | ||||
記念碑名 | 建立年 | 建立者 | 所在地 | 関連する戦役・任務 |
石祠 | 1895 | 真野兵蔵 | 小川町 | 日清戦争 |
故陸軍歩兵二等卒加藤君墓誌銘碑 | 1896 | 加藤藤蔵 | 小川町 | 台湾守備 |
竹内宇八之碑 | 1898 | 不詳 | 小川町 | 日清戦争 |
陸軍歩兵伍長神山力太郎君碑 | 1905 | 神山正作 | 小川町 | 日露戦争 |
故陸軍輜重輸卒斉藤菊五郎之碑 | 1908 | 斉藤源太郎 | 大沼町(泉蔵院) | 日露戦争 |
戦捷記念碑 | 1909 | 小川兵事会 | 小川町(神明宮) | 西南戦争、日清戦争、日露戦争 |
従軍記念碑 | 1909 | 不詳 | 小川町(神明宮) | 日露戦争 |
忠烈碑 | 1910 | 川窪忠造 | 仲町 | 日露戦争 |
故陸軍歩兵一等卒森田新平碑 | 1917 | 森田家 | 小川町(小川寺) | 日露戦争 |
忠盡碑 | 1920 | 土方光五郎 | 小川町 | 平時(海難事故) |
戦役記念碑 | 1923 | 小平村堅中奨兵会 | 花小金井(武蔵野神社) | 日露戦争 |
前村寅吉君碑 | 1925 | 前村源蔵 | 喜平町 | 台湾守備 |
戦役記念碑 | 1926 | 鈴木中 | 鈴木町(稲荷神社) | 西南戦争、日清戦争、北清事変、日露戦争、台湾守備 |
増田兄弟忠魂之碑 | 1939 | 増田誠太郎 | 小川町 | 満州守備、日中戦争 |
純忠之墓誌 | 1946 | 檀信徒並特志者 | 小川町(小川寺) | 西南戦争、日清戦争、日露戦争、台湾守備、アジア・太平洋戦争 |
忠霊塔 | 1951 | 不詳 | 小川町(小川寺) | 不詳 |
忠霊塔 | 1952 | 平安院信徒一同 | 仲町(平安院) | 日露戦争、アジア・太平洋戦争 |
忠魂碑 | 1955 | 戦友一同・氏子中 | 鈴木町(稲荷神社) | 日中戦争、アジア・太平洋戦争 |
忠魂永存碑 | 1968 | 氏子中 | 花小金井(武蔵野神社) | 日中戦争、アジア・太平洋戦争 |
供養塔 | 1969 | 川原宗八ほか | 大沼町(泉蔵院) | 西南戦争、日露戦争、アジア・太平洋戦争 |
帰還兵士芳名碑 | 1973 | 不詳 | 大沼町(稲荷神社) | アジア・太平洋戦争 |
戦没記念碑 | 1989 | 井上正一ほか17名 | 仲町(熊野宮) | 日露戦争、アジア・太平洋戦争 |
(出典)小平市教育委員会編『小平市石造物調査報告書 小平の石造物』(1993年)より作成。 |
戦前の日本は「大日本帝国」と呼ばれており、アジアや太平洋地域に広大な植民地・勢力圏を有していた。「帝国」の膨張をもたらしたのは、日清・日露戦争をはじめとする対外戦争であった。ここでいう対外戦争は、植民地・勢力圏の確保・拡張のために日本がおこなった戦争のことであり、国家間・正規軍同士の戦闘に限られない。日清戦後の台湾では、日本支配に反発する台湾住民を弾圧するための掃討戦が展開された。先の記念碑のなかには、台湾での戦闘で命を落とした兵士にかかわるものがいくつか確認できる。そのことは、遺族をはじめとする当時の小平の人たちにとってこうした戦闘もまた地域のなかで共有すべき戦争体験として認識されていたことを示している。
ここでは、日清・日露戦争や台湾での戦闘など帝国の膨張過程で起こった対外戦争と、明治期の小平村の人たちとのかかわりについて記述する。