会則の改正と小平村青年会の結成

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一九一五(大正四)年一月、回田青年会は会則の改正をおこなった(これ以後、「回田新田青年会」と称したと思われる。「大正四年 回田新田青年会々則」)。この改正は、青年会が村を支える組織として位置づけられるようになったことを示すものであった。この点は、「名誉会員」を新設し、総会の決議によって「本村名望家」を推薦する、とした規程に端的に示されている。
 会則改正とともに「事業細目」も決められた。そこには旧規約にあった「夜学会」「講話会」(旧規約では「講習会」)のほかに、「兵員の待遇」「産業の振興」「公共事業の幇助(ほうじょ)」「基本財産の蓄積」「模範青年及功労者の表彰」が付け加えられている。「兵員の待遇」は、旧会則にはなかったが実際には中心的な活動であった現役兵慰労などを、あらためて規定したものである。「産業の振興」もすでにおこなわれていた試作場の活動のことで、細則では具体的に「肥料の試験及施肥の方法を研究すること」を課題として掲げた。「公共事業の幇助」として具体的にあげられていることは、「通路の改修」「通路の雪払」で、村のくらしを支える仕事として青年会の村における存在意義を高めるものであった。「青年会会議録」を見ると、そのほかに「道路標識杭設置」「野鼠駆除」、役場からの家屋坪数調査の委託、などをおこなっていたことがわかる。「事業細則」にはないが、「会議録」には「書籍購入」(一九二二年一二月)、「書籍廻覧」(一九二三年一月)の活動も記録されている(近現代編史料集⑤ No.六九)。時代を反映した活動といえよう。「模範青年及功労者の表彰」は、新会則で会の目的を「風紀を益々善良ならしめ、勤倹貯蓄の美風を養成し、青年の交情を温め、相互の智織を増進し、産業の発達を計る」としたことに関連した事業である。ここでは、旧会則で強調されていた「智織」の他に「産業の発達」を加えているが、それよりも先に「風紀」と「勤倹」を記していることに注目しておきたい。村を支える組織となった結果、青年には「風紀」と「勤倹」が求められるようになり、その推進のために「模範青年」が表彰されるようになったのである。

図2-33 回田新田青年会会議録 1915年~

 一九一九年一月一二日、回田新田青年会は解散した。この解散は「小平村青年会と五字分会成立に伴ひ」おこなわれたもので、それにより「回田新田支部と改称」した(近現代編史料集⑤ No.七〇)。