表2-10 六つの「部落消防」の歴代組頭 | ||
消防組名 | 部制 | 組頭 |
小川消防組 | 8部 | 平沢増五郎 新井茂十郎 吉沢善太郎 若林善蔵 小野重太郎 |
小川新田消防組 | 3部 | 小野房次郎 |
大沼田新田消防組 | 1部 | 中村庄五郎 本橋三蔵 當麻幸三郎 |
野中新田消防組 | 3部 | 中島勘助 高橋思之 |
鈴木新田消防組 | 3部 | 石川鶴吉 岡田孫次郎 吉沢為蔵 |
回田新田消防組 | 1部 | 大谷孫八 荒井廣次郎 |
六つの「部落消防」は一九一二(大正元)年一二月に併合され、小平村消防組となった(近現代編史料集⑤ No.七四)。初代組頭には小野房次郎が就任している。併合されたとはいっても、それまでの一九の部はそのまま残り、それぞれの部は「第一部」から「第十九部」と、通し番号で呼ばれるようになった。一九一九年三月には「小頭」が二名置かれることになり、同時に組頭と小頭に三年の任期制が導入された。全体のまとまりを強化するための組織編成の変更である。
衛生組合は一八九七年四月の伝染病予防法で設置が義務化された。ちょうどその年の七月、北多摩郡では赤痢が大流行した。このときの患者数、死者数は小平村が一番であったという(『武蔵村山市史』)。このことが衛生組合設置の必要性を実感させることになったと思われる。野中本通第一衛生組合は、一八九八年の九月に結成された(近現代編史料集⑤ No.七二)。衛生組合の規約は、この野中本通第一衛生組合のほかは、小川新田山家衛生組合の規約が残るだけで、そのほかの地域については不明である。山家組合の規約には日付が記されていないが、内容は野中本通とほぼ同じ定型である。おそらく、野中本通第一衛生組合と同様、赤痢の大流行をきっかけに、小平村各地に衛生組合が組織されたものと考えられる。