村人の安全を守る消防組と衛生組合

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村を支える団体には、他に村人の安全を守る消防組と衛生組合があった。消防組は、小平村が成立した一八八九(明治二二)年頃から「部落消防」として組織されていた(近現代編史料集⑤ No.七四)。それは、小川消防組、小川新田消防組、大沼田新田消防組、野中新田消防組、鈴木新田消防組、回田新田消防組の六つである。表2-10に見るように、大沼田新田、回田新田以外は区域を分けて部制をとっていた。小平村全体が一九に分けられていたことになる。そのなかで、野中与右衛門組消防組(近現代編史料集⑤ No.七三)と回田新田消防組の規約(「消防組合規約書扣」)が残されている。前者には一八九〇年二月三日、後者には一八九四年九月二〇日の日付が記してある。両者に共通するのは、区域の全戸主によると思われる連印が捺されていることで、この点は衛生組合でも同様である。すなわち、消防組も衛生組合も村人を守る団体として、村人全員の合意のもとにつくられた組織であったのである。それゆえ、統制力の強い組織であった。回田新田の規約では、組頭、小頭は「消防掛を指揮」するだけでなく、鎮火後の「組内一同へ関する見舞等を協議し、相当の取計を為す」ものとし、「組内に於て其取計を拒絶する権利なきものとす」とされている。
表2-10 六つの「部落消防」の歴代組頭
消防組名部制組頭
小川消防組8部平沢増五郎 新井茂十郎 吉沢善太郎 若林善蔵 小野重太郎
小川新田消防組3部小野房次郎
大沼田新田消防組1部中村庄五郎 本橋三蔵 當麻幸三郎
野中新田消防組3部中島勘助 高橋思之
鈴木新田消防組3部石川鶴吉 岡田孫次郎 吉沢為蔵
回田新田消防組1部大谷孫八 荒井廣次郎

 六つの「部落消防」は一九一二(大正元)年一二月に併合され、小平村消防組となった(近現代編史料集⑤ No.七四)。初代組頭には小野房次郎が就任している。併合されたとはいっても、それまでの一九の部はそのまま残り、それぞれの部は「第一部」から「第十九部」と、通し番号で呼ばれるようになった。一九一九年三月には「小頭」が二名置かれることになり、同時に組頭と小頭に三年の任期制が導入された。全体のまとまりを強化するための組織編成の変更である。
 衛生組合は一八九七年四月の伝染病予防法で設置が義務化された。ちょうどその年の七月、北多摩郡では赤痢が大流行した。このときの患者数、死者数は小平村が一番であったという(『武蔵村山市史』)。このことが衛生組合設置の必要性を実感させることになったと思われる。野中本通第一衛生組合は、一八九八年の九月に結成された(近現代編史料集⑤ No.七二)。衛生組合の規約は、この野中本通第一衛生組合のほかは、小川新田山家衛生組合の規約が残るだけで、そのほかの地域については不明である。山家組合の規約には日付が記されていないが、内容は野中本通とほぼ同じ定型である。おそらく、野中本通第一衛生組合と同様、赤痢の大流行をきっかけに、小平村各地に衛生組合が組織されたものと考えられる。