震災から六日後の九月七日、北多摩郡町村長会が開かれた。そこでは九項目が議題として提示された。第一にあげられたのは「食糧品補給に関する件」、二番目が「物資の節約に関する件」、そして三番目に「暴利取締に関する件」と続き、七番目に「罹災者に対する寄付金品に関する件」が示された。ここで、どのようなことが決定されたのかは不明であるが、五日後の九月一二日、小平村長は各組長宛に「被災民救助の件」を発している。そのなかで村長は「其の惨状を想見して暗涙を禁じ得ざる所なり、今や時既に日を逐ふて冷気に向はんとす、本職は爰に、居るに家なく衣るに衣なきの災民を救護するの一助たらんとして、左の寄付行為を企画す」と書いた。あくまでも、村長の自発的な意志による提案とのかたちをとって訴えているが、町村長会での寄付の提起がきっかけとなったことは確実であろう。募集方法についての説明には、「篤志者の寄付を求むるものにして、必ずしも毎戸又は強て寄付を求むるの意にあらず」と書き添えている。しかし、実際には、各組長が寄付物件とその個数、寄付者の氏名を記載した「寄付物件目録」をつくって一括してまとめ、村長に提出するという方法をとっており、既存の「組」組織を利用した寄付集めだった。村全体の寄付者は七四八名で、村の戸数の約八割であった。寄付物件は「古衣、足袋、履物類」とされており、「古衣」は一二〇二点、「足袋及履物」は一五〇点、「雑品」が七五点集まった。集まった寄付物品は、九月一七日に府知事宛に送られている。