堤康次郎の学園都市構想

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小平村の宅地開発に着手したのは箱根土地株式会社(のちのコクド、現在はプリンスホテルに合併、以下箱根土地と表記)であった。箱根土地は、一九二〇(大正九)年三月に堤康次郎によって資本金二千万円で設立された土地会社である。箱根強羅や軽井沢の別荘地開発、そして目白文化村などの郊外住宅の開発を手がけ、一九二四年から二五年にかけて大泉学園都市・国分寺大学都市(のちの小平学園)・国立大学町の一連の「学園都市」の開発・分譲を矢継ぎ早におこない、のちに西武グループの中核へと発展していく。
 堤は関東大震災後の学校の郊外移転に着目し、一連の学園都市を構想した。神田からの移転を計画していた東京商科大学(現在の一橋大学)を誘致するために、北豊島郡大泉村(現在の練馬区大泉)の用地を買収し、同大学を中心とした大泉学園都市の建設に着手した。大泉学園都市約五〇万坪の分譲は一九二四年一一月にはじまった。第一回から第三回の分譲は即完売し、売れ行きは好調であった。後述するように国分寺大学都市の計画は、大泉学園の分譲とほぼ並行して進められた。箱根土地の営業報告書(一九二四年下期)には、「本社ハ近ク国分寺方面ニ建設スベキ大学都市分譲ノ計画アリ之レ亦業績ヲ見ルベキモノアルヲ確信ス」と記載されている。ところが、一九二五年九月、東京商大は、大泉ではなく北多摩郡谷保村(現在の国立市)に移転することを決定し、大泉学園都市計画は暗礁に乗り上げた。

図3-2 国分寺大学都市の分譲地区画図(第1回分)1925年頃
プリンスホテル所蔵