国分寺大学都市計画

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箱根土地は、大泉学園都市とほぼ並行して明治大学を中心とする学園都市の開発を計画した。震災直後の一九二三(大正一二)年一〇月より小平村の土地の買収を開始し、最終的に坪単価三円で約六〇万坪(山林が四割、畑が六割)の土地を買収した。そして一九二四年八月一八日に明治大学との間で小平移転にかんする本契約を締結し、ここに明治大学を中心とした国分寺大学都市計画が本格的にスタートした。
 国分寺大学都市の分譲地は、中央線国分寺駅から北に伸びる八間道路を中心に東西に分断され、西側には明治大学の広大な建設敷地が二区画(合計七万坪)用意された。後述するようにこの広い道路には鉄道を敷設し二つの停留所を設置することが当初から予定されていた。一九二五年一月三日に地鎮祭がおこなわれ、宣伝のために大学都市内の風景を題材とした懸賞写真の募集がおこなわれた。本格的な分譲は三月から開始され、第一回分譲は道路の東側の区画であった。一区画は三〇〇坪であり、中央を貫く八間道路から近い順に一号地から五号地の五つの等級に分けられ、坪単価は最低の五号地が九円八〇銭、最高の一号地は一二円八〇銭で、角地は二割増であった。一九二五年三月三日の『東京朝日新聞』には以下のような広告が掲げられた。
国分寺大学都市は桜の名所小金井の地つゞきで東京市の郊外公園(東村山貯水池)の敷地に近い高燥な土地です。大学都市に明治大学が移転する計画が出来ました。明治大学には約八千の学生と一万五千の校友とそれにともなふ多くの商店がありますからスグ繁華な都市になります。女子英学塾もこの隣地に移転するためにすでに二万坪の敷地を買収しました。
東京駅から省線電車約一時間で国分寺に着き駅から電車で三四分で大学都市に着きます。省線電車は一日に六十一往復、朝夕特別に七往復の通勤電車が出ます。乗車賃は定期なれば東京駅まで往復何回乗っても一日に十五銭位ですから、市電の賃金とほゞ同じです。このほか道路(幹線八間)、電燈、電熱設備等は勿論、日用品市場、模範小学校、公園、運動場、娯楽場、乗合自動車等を設置します。

 大泉学園都市と同様に土地分譲の出足は好調であったものの、翌二六年に計画は大きな曲がり角に立たされることになる。