戸数割の委譲と反別割の導入

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義務教育費下渡金があるものの、膨張する経費を支えたのは依然として村税、とりわけ戸数割であった。一九二一(大正一〇)年に府県税戸数割規則が定められ、府県と市町村で徴収する戸数割と同付加税額に制限が加えられ、従来市町村ごとに基準がまちまちであった課税標準が統一された。新たな基準では納税者の所得額、住居坪数、資産状況の三つの指標を勘案し課税額が算出されることとなった。住居坪数は土蔵及石造一坪=二個、そのほかの建物は一坪=一個で換算され、賦課割合は所得が重視され、所得:住宅坪数:資産は五:一:四とされた(近現代編史料集① 二六五頁)。
 その後、一九二六年に大規模な地方税の整理がおこなわれ、一九二七(昭和二)年より戸数割は府県から市町村に移譲され、小平村は初の独立税をもつことになった。新たに定められた小平村特別税戸数割規則は、基本的に一九二二年の府県税戸数割規則を踏襲し、家屋税の創設にともない住居坪数が除外され、所得と資産が算定基準とされた。
 しかし、戸数割の納税義務者は住所地への構戸者・独立生計者であったため、一九二六年に不在村地主への課税を目的として特別税反別割が設けられた。その税率は田畑・宅地一反歩につき七〇銭、山林その他一反歩につき五〇銭とされ、一九三〇年代には村税の三〇%程度、歳入全体の二〇%程度を反別割が占めていた。