昭和恐慌にともなう農村の疲弊に加え、村内の政友会系・民政党系との政治的対立、そして後述する学校設置問題(高等科併置問題)もあって、小平村では深刻な村税の滞納問題が発生した。「市町村税完納事績」によれば、「漫然滞納せる者三〇七、打算的に滞納せる者五七、感情問題から滞納せる者八七、貧困による者七九、所在不明にして督促するあたわざるもの一三九名」に上り(『小平町誌』重引)、一九三二(昭和七)年には累積滞納額は五万八千円に達した。同年の歳入決算額は五万三千円余りなので一年度の財政規模を超える金額であり、小平は府下有数の滞納村となった。
予定された税収が得られないことから、村財政は「借金のマラソン金融」に頼らざるをえなくなり、一九二九年以降、毎年村議会の承認を受けて一時借入金を受け入れた。そして、小平村では、一九三一年六月、「小平村納税奨励金交付規程」を設置した。その理由は、「近時財界ノ不振其極ニ達シ勢ヒ税界ニモ影響ヲ来シ納税ノ成績芳シカラズ之ガ打開ヲ図ランニハ滞納整理ノ断行ハ素ヨリナガラ傍ク本規程ヲ施行シ以テ負担ノ均衡ヲ得セシメ両々相俟ツテ納税思想ヲ向上セシメン」とするためであり、優良な納税者・納税組合には助成金が交付された(近現代編史料集① 五一一頁)。また一九三五年一二月には、「村税其ノ他督促及督促手数料並滞納処分条例」を設置し、村税の滞納に対して督促状を出すことになった(同前 六二三頁)。こうした一連の措置の効果もあり滞納額は漸減していった。次にこの村税滞納問題の原因の一つとなった小学校高等科併置問題についてみよう。