小学校高等科の増設をめぐる議論

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前述のように小平村内の小学校は、小川・野中・回田の尋常小学校と小川新田の尋常高等小学校一校の計四校であった。一九二〇年代半ばには高等小学校の進学率は五〇%を超え、併置校一校のみだった小平村においても高等科の新設が望まれていた。
 一九二六(大正一五)年二月二六日の村会において、学務委員吉田弥平治他一名より「小平村小学校学制改正ノ件」が提出された。提案内容は、村内を小川一円とその他で二つの学区に分け、高等科併置校を二校設置するというものだった。財政的な事情もあり現状維持という意見も出たが、調査委員会を設置し再度審議することとなった。議論の結果、三月一日の村会で左記の三学区に分け、既存の四校を高等科併置校三校に再編し、それぞれ校舎を新築することに決定された(近現代編史料集① 三四〇頁)。
第一学区 小川一円
第二学区 小川及び五字を除く一円
第三学区 五字(小川新田字山家・上水内・上水向、回田新田、鈴木新田字上、字堀端、野中新田善左衛門組字御上水南、上水通)一円

 この段階では最終的に三校それぞれを高等科併置とする方針であった。翌一九二七(昭和二)年二月には校舎新築・増築の具体的な青写真が村会に提出され、第一小平尋常高等小学校(小川)、第三小平尋常小学校(回田)は従来の位置に校舎を増築し、小平尋常高等小学校(小川新田)と第二小平尋常小学校(野中)を併合のうえで新たな場所に新築することとなった(近現代編史料集① 三七六頁)。三校の建築費用は合計で七万三千円余と見積もられ、不況下で全額を村費で賄うことが困難であったので一部は村債で充当した。起債額は五万円で借入利率は年八分以内、償還期間は一〇か年であった。そして、不要となる尋常高等小学校と第二尋常小学校は新校舎が完成した後で売却されることとなった(同前 三七七~三七八頁)。
 一九二八年春には新校舎の工事がはじまり、七月に三校すべてに高等小学校を併置する認可を東京府に申請した。しかしながら東京府が実態を調査した結果、小平村の財政能力からみて三校の併置は困難であり、通学児童数からみても三校は不要であるとのことから、学童数のもっとも少なかった第三尋常小学校を除いた二校に高等科併置が認可された(近現代編史料集③ No.五三)。
 こうして一九二九年一月、小川の第一小平尋常小学校に高等科が併置され、野中の第二小平尋常小学校と小平尋常高等小学校を併合した第二小平尋常高等小学校が新たに開校し、村内の学校は尋常高等小学校二校、尋常小学校一校となった。
 
表3-4 小平村尋常小学校・高等小学校児童数
1925年1929年
尋常高等小学校401第一尋常高等小学校376
うち高等科191うち高等科73
第一尋常小学校310第二尋常高等小学校539
第二尋常小学校220うち高等科142
第三尋常小学校145第三尋常小学校167
合計1,076合計1,082
(出典)「村会議事録」各年より作成。