小学校再編にともなう諸問題

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村内の小学校の再編にともない、幾つかの問題が発生した。一九二九(昭和四)年一月に新校舎の落成式がおこなわれた。財政的な事情もあり村内には校舎新築を反対する人びとがおり、一月半ばには反対派を父兄にもつ児童一五〇名余りが通学を見合わせるという大規模な同盟休校事件に発展した。また、前述のように第三小平尋常小学校に高等科併置が許可されなかったため、一月後半には村内有志数名が東京府庁を訪問し、第三小平尋常小学校のみ不許可になった理由について説明を求め、実情を陳情した(近現代編史料集③ No.五〇~五四)。
 そして野中の尋常小学校の移転にともない、一月半ばには移転に不満をもった児童八〇名余りは、野中新田付近の家屋を借りて、代用教員による寺子屋に通いはじめるという事件が発生した。これを問題視した東京府は寺子屋の解散命令を出したが、一時解散したものの、また四月には再開されるなど学校移転の影響は大きかった。この過程では、府や村に抵抗するために各種付加税の不納同盟が結成され、折からの不況に加え村税の滞納に拍車がかかった(近現代編史料集③ No.五五~六一)。
 こうした問題もあって一九二九年一二月二四日に、小山平八ほか三名の村議から第二小平尋常高等小学校移転の議案が提出された。提案理由は、第二小平尋常高等小学校の位置は学区域の南西の隅に位置しており、児童の通学上不便であり、将来学校問題が再燃する可能性があるというものであった。年が明けて一月一三日の村会では、多額の費用をかけて建設した学校をわずか一年で移転させるのは財政上問題であり村政に混乱を来すという意見も出され、審議未了となり、二二日に審議が再開されたが、最終的に保留するとの決がなされた(近現代編史料集① 四五五頁/四六〇頁)。
 そして一九三三年二月二七日には、児童数の増加と遠距離からの通学児童への配慮を理由に旧第二小平尋常小学校跡に第二小平尋常高等小学校の分教室をつくる議案が村会で可決され、四月一日に野中分教場が設置された(同前 五六〇頁)。
小平の小学校変遷 1900年以降
図3-10 小平の小学校変遷 1900年以降