ムラは、家の連合体であり、各家の生活を維持するためには、水と燃料が不可欠であった。そのため用水と山林の共同管理は、ムラにとっても家にとっても死活問題であった。しかし、小平の各家は、短冊状の広大な土地を所有し、そのなかに林をもっていたので燃料の心配はあまりなかった。そのうえ耕地は畑作であり、水田稲作地帯のような用水の厳しい管理や規制の必要性はなかった。そのため地域集団としての結束もおのずと緩やかなものとなっており、個々の家の独立性が高かった。
しかし、道路や橋の修繕や生活用水の維持管理保全、自然災害に対する防備としての神仏祈願、五穀豊穣に感謝する祭礼などは、土地に集住する家々が共同でおこなうものであり、さらに個々の家の冠婚葬祭などの生活上欠かすことができない儀式や行事は、他家の手助けを必要とした。
その役割は、東日本のムラにおいては、本家―分家―孫分家とつながる同族の集まりである同族団が担うことが多かった。しかし、近世の新田村である小平のムラは、近在からの移住者によって成立したため、同族が一定の地域を占有することもなく、また本家の居住地(屋敷)内を分割して分家を出すことも少なく、そのため同族が屋敷を接して集住することもほとんどなかった。それゆえ地域社会における同族組織の機能や活動は微弱にならざるを得なかった。
それに代わって、地域のくらしを支えたのが、地縁で寄り集まった人びとの集まりで、目的に応じて数々の集団を機能的に組織化した。まず向こう三軒両隣である。自家を中心した五軒ほどの家の集団である。小川では、これをトナリ(ときにはムケエとかリンカ)といった。このトナリの外側の数戸はサシバ(差場)と呼ばれた組織がある。ただしトナリ・サシバは、地域が固定した組や大字のような組織ではない。自家を中心にした家々のまとまりである。それゆえ家を違えるとサシバの構成員は変わってくることもある。トナリ・サシバを除いたクミの領域はオオグミ(大組)である。クミはさらに上(かみ)・下(しも)に分かれることもある。この上・下組を合わせたものがバングミ(番組)である。小川ではこの番組が一~八番まである(『郷土こだいら』)。その番組に本町組と坂北組を合わせたのが小川(村)全体となる。そしてこの一〇組織(のちの自治会)が、小川としてまとまり、小平神明宮の祭礼をはじめとする諸行事を担う組織体となっている。
小川の地縁組織の概略は以上のようであるが、そのほか大沼田新田には、サシバに似たツキアイバなどの組織もあり、地域によっても時代によっても多少異なるが、これらの地縁組織が有効に機能し、複雑に発達していたのが小平の特徴といえよう。一九五九(昭和三四)年に刊行された『小平町誌』においても、一九六七年に刊行された『郷土こだいら』においても、この地縁組織を詳細に論じ、ここに小平の生活を支えるしくみの個性と歴史を発見している。
しかし、地縁組織もさることながら、親族の力も生活を支え、維持するうえでは無視できないものがあった。なかでも姻族の力は、同族組織が発達することのなかった小平においては、特別な意味をもっていた。
以下では、葬式のときに死者を悼み、贈られる香奠(こうでん)の慣習からそれをみることにしよう。