香奠の金額

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一九二二(大正一一)年一月七日、小川弥次郎の葬儀がおこなわれた。「最後の名主」といわれた人物である。村長の小川良助が「葬儀委員長格」でことに当たり、小川全体三百余戸、全戸が動員され、旗持など何らかの役を振り分けられたという(「小川愛次郎氏を訪ねて(1)」)。このときの小川の住民をふくむ一般人の香奠は、一〇銭~二〇銭ほどであったが、嗣子愛次郎の夫人の里と愛次郎の姉の嫁ぎ先からは三〇円の大金が届けられたという(同前)。
 同様のことは、小川八番の浅見(庄蔵)家にもいえることであった。浅見家には一九〇五(明治三八)・一九〇九(明治四二)年・一九一九(大正八)年・一九二五(大正一四)年・一九四六(昭和二一年)年・一九六三(昭和三八)年の香奠帳(小平中央図書館蔵)が残されている。その香奠帳を概観すると(表3-5)、戦前においては、地縁・血縁が中心で、とりわけ地縁組織の関係は不変で、家同士の付きあいにも変化はみられない。ただし血縁関係をみると、同族よりも姻戚関係のつながりが強いようである。
表3-5 浅見家の香奠の変遷
 1905年2月1909年9月1919年4月1925年11月1946年5月
故人浅見庄蔵浅見伊三郎浅見よし浅見佐一郎浅見佐十郎
施主浅見伊三郎浅見佐一郎浅見佐一郎浅見佐十郎浅見庄蔵
親戚1319222725
地縁2531272323
知人・友人9 8 (32)
商売・勤め関係211
不明2 43
合計人数4952625480
最高金額~最低金額2円~5銭8円~10銭15円~30銭25円~50銭100円~3円
備考   別に小川八番として14円50銭の香奠あり。小平町青年会第一分会第八支部として5円の香奠あり。
(注)1946年の(32)のなかには知人・友人・商売・勤め関係・不明などを含める。

 浅見家は、江戸期に小川六番の浅見本家から分家し、現在地に居を構えた。小平(小川)においては、戦前まで本家の敷地(一屋敷=ヒトヤシキ)に分家を出すことはほとんどなく、浅見家も小川六番から現在地に移住したため、本家とは距離的にもかなり離れている。それでも本家とは、一九四六年の時点でも香奠のやりとりがあるが、日常ではほとんどつきあいはなかったようである(浅見正夫・綾子より聞き書き)。
 一九二五年一一月一二日の葬儀(故佐一郎)の香奠の高額は、奥住(柳久保新田―二五円)で、その次に安田(田無―二〇円)・中村(内藤―二〇円)・斉藤(野口―二〇円)・秋田(柳久保―一五円)と続く。すべてが姻戚である。同族では、浅見(国分寺―一〇円)が最高額であり、浅見本家は一円であった。
 このことからも、また前述の小川弥次郎の葬儀からも類推できるように、小川においては、姻戚とのつながりが、同族と同等ないし、それ以上の強い関係性をもっていたことがわかる。