同様のことは、小川八番の浅見(庄蔵)家にもいえることであった。浅見家には一九〇五(明治三八)・一九〇九(明治四二)年・一九一九(大正八)年・一九二五(大正一四)年・一九四六(昭和二一年)年・一九六三(昭和三八)年の香奠帳(小平中央図書館蔵)が残されている。その香奠帳を概観すると(表3-5)、戦前においては、地縁・血縁が中心で、とりわけ地縁組織の関係は不変で、家同士の付きあいにも変化はみられない。ただし血縁関係をみると、同族よりも姻戚関係のつながりが強いようである。
表3-5 浅見家の香奠の変遷 | |||||
1905年2月 | 1909年9月 | 1919年4月 | 1925年11月 | 1946年5月 | |
故人 | 浅見庄蔵 | 浅見伊三郎 | 浅見よし | 浅見佐一郎 | 浅見佐十郎 |
施主 | 浅見伊三郎 | 浅見佐一郎 | 浅見佐一郎 | 浅見佐十郎 | 浅見庄蔵 |
親戚 | 13 | 19 | 22 | 27 | 25 |
地縁 | 25 | 31 | 27 | 23 | 23 |
知人・友人 | 9 | 8 | (32) | ||
商売・勤め関係 | - | 2 | 1 | 1 | - |
不明 | 2 | 4 | 3 | - | |
合計人数 | 49 | 52 | 62 | 54 | 80 |
最高金額~最低金額 | 2円~5銭 | 8円~10銭 | 15円~30銭 | 25円~50銭 | 100円~3円 |
備考 | 別に小川八番として14円50銭の香奠あり。 | 小平町青年会第一分会第八支部として5円の香奠あり。 | |||
(注)1946年の(32)のなかには知人・友人・商売・勤め関係・不明などを含める。 |
浅見家は、江戸期に小川六番の浅見本家から分家し、現在地に居を構えた。小平(小川)においては、戦前まで本家の敷地(一屋敷=ヒトヤシキ)に分家を出すことはほとんどなく、浅見家も小川六番から現在地に移住したため、本家とは距離的にもかなり離れている。それでも本家とは、一九四六年の時点でも香奠のやりとりがあるが、日常ではほとんどつきあいはなかったようである(浅見正夫・綾子より聞き書き)。
一九二五年一一月一二日の葬儀(故佐一郎)の香奠の高額は、奥住(柳久保新田―二五円)で、その次に安田(田無―二〇円)・中村(内藤―二〇円)・斉藤(野口―二〇円)・秋田(柳久保―一五円)と続く。すべてが姻戚である。同族では、浅見(国分寺―一〇円)が最高額であり、浅見本家は一円であった。
このことからも、また前述の小川弥次郎の葬儀からも類推できるように、小川においては、姻戚とのつながりが、同族と同等ないし、それ以上の強い関係性をもっていたことがわかる。