そのことにかんしては、小平の俚諺(りげん)にもヒントがある。「農家から嫁を貰うには家屋敷の周囲に積んである薪の量をみて」(「地元の方を訪ねて(その十一)」)というものがある。一般的には「嫁は川上から貰え」といわれるように、嫁は貧しい地域や家から貰うと家風に馴染み、よく働くとされてきた。しかし、小平(小川)では、姻戚は裕福の方が望ましかったようであった。
これは分家形態とも関連することであるが、小平では、本家から耕作地を分割・分与され、本家の敷地内に分家し、以後も本家に経済的に従属し、庇護を受けるという形態が少なく、分家することは他所へ出ることであり、経済的にも社会的にも本家から独立し、一軒前の家を創設することを意味していた(『小平町誌』)。そのため本家に対しての庇護従属の関係性は脆弱(ぜいじゃく)で、そのぶん婚姻をとおして結びついた姻戚との関係が重視され、そのつながりが相互の家のくらしを支える大きな支柱になっていたのである。