郷土教育と愛国心

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ところが、普通選挙の実施・治安維持法の制定(一九二五年)以後、このような自由主義的教育理念は急速に失われ、文部省が推進した国家・社会への奉仕を重視した国家主義的教育が浸透してくる。そのことは昭和元年頃につくられた第三小平尋常小学校の校歌にもあらわれている。「氷川の宮の 神垣を おがみてさとる国の基 南ににおう桜花 きわめて知らん 忠の道」(二番、作詞古瀬弥太郎)(『小平市教育史資料集』第七集)という国家主義的「忠君愛国」を説くものであった。
 そして、盛んになったのが、郷土教育であった。児童に読み書きだけではなく、郷土意識・国家意識を持たせようと国家(文部省)が力を注いだのである。小平においても、この趣旨に添った「郷土教授資料」がつくられた(『小平市教育史資料集』第七集)。この本の刊行年は明確ではないが、発行元が「小平尋常高等小学校」となっており、一九二九(昭和四)年一月以前のことになろう。総論、地理、農産物、人口、教育、交通、歴史、神社などを記したものである。ここには、「武蔵野は月の入るへき山もなし 尾花が末にかかる志ら雲」の和歌とともに、小平開拓の歴史や「日本一ノ農産地」として武蔵野が発展する経緯が述べられている。しかし、その内容は、「サレバ我等小平地方ニ住スルモノハ殊更大君ノ恵ミヲ思ヒ日夜忠君愛国ノ大義ヲ忘レス以テ聖恩ノ万一ニ報ヒ奉ルヘキナリ」と、郷土意識の涵養とあわせて国家主義的な「忠君愛国」の精神が説かれていた。