農家の児童たちは家にとっては働き手でもあって、学校から帰ると農作業や家事の手伝いが待っていた。風呂焚き、子守、掃除、麦刈り、落ち穂拾い、ずい虫とり、などである。農繁期には一週間から一〇日の農繁休暇があった。農繁休暇中は子どもといえども懸命に働かねばならず、休暇であっても嬉しくなかったという。子どもたちにとって楽しみは盆や正月、お祭りで、とくにお月見は籠を手に近所の家々をまわって芋や団子などのお供えをもらって帰り、たらふく食べることができたので思い出深い、楽しい行事だった。
また、学校では明治期後半から遠足があり、一八九九(明治三二)年に入学した人は一年生の時に青梅橋近くの丸山台、二年生は小金井の桜見物(図3-14)、三年生は府中の大国魂神社、四年生は日野の百草園に行ったといい、すべて徒歩であった。大正時代には一泊で江ノ島、鎌倉へ行く修学旅行もはじめられていた。交通機関の整備にしたがって修学旅行先は遠方になり、昭和一〇年代には関西まで足を延ばすようになった(『小平市教育史資料集』第六集)。
図3-14 小金井桜のお花見風景
小平市立図書館所蔵