表3-8「小平村の青年会組織」は一九一五(大正四)年七月の時点における小平村内の青年組織一覧であるが、九つの青年会が組織され、活動内容をみると勧業関係の活動ばかりである。種モミの塩水選や試作場設置、農事講話会開催など農業関係の知識、経験の向上は北多摩郡の青年団体指導者会で最も多く提案されており、大正時代の同郡青年の関心がどこにあったかがわかる(「大正年間北多摩郡青年団体指導者会資料」)。
表3-8 小平村の青年会組織 | |||||||
(1915年現在) | |||||||
名称 | 区域 | 創立年月日 | 会長氏名 | 会員数 | 経費 | 基本財産 | 事業 |
小川三番組青年会 | 小川三番組 | 1911年1月 | 小川弥八 | 24 | 70円 | 25円 | |
小川七番組青年会 | 小川七番組 | 1909年3月 | 小川藤吉 | 20 | 27円 | - | 桑園設置 |
小川八番組青年会 | 小川八番組 | 1902年1月 | 小山正吉 | 30 | 37円 | 1円50銭 | 桑園設置 |
小川新田青年会 | 小川新田 | 1911年1月 | 窪田忠次郎 | 39 | 90円 | - | 桑園設置、道路修繕 |
大沼田新田青年同盟会 | 大沼田新田 | 1913年 | 市川弥三郎 | 49 | 20円 | - | 桑園設置、道路修繕 |
野中青年自彊会 | 野中新田与右衞門組 | 1881年9月 | 高橋信太郎 | 54 | 120円 | 200円 | 試作場及び桑園設置、品評会開催、道路修繕など |
野中青年報国会 | 善左衛門組と與左衞門組の一部 | 1908年11月 | 梅室長三郎 | 30 | 40円 | 50円 | 試作場及び桑園設置、道路修繕など |
鈴木新田青年正進会 | 鈴木新田の一部 | 1912年 | 肥沼彦五郎 | 31 | 23円10銭 | - | 同上 |
回田新田青年会 | 回田新田 | 1901年1月 | 新井憲亮 | 42 | 55円 | 44円56銭 | 同上 |
(出典)『小平市教育史資料集』第6集より作成。 |
北多摩郡下の青年会が一村あたり一団体、多くても五団体程度だったのに対し、小平村には九団体もあり、青年組織の地域割拠性が高かった。そのため、小川新田青年会から「当小平村ノ如ク大字及小字等ニ多数ノ青年会ノアル土地ハ皆合同一致シテ一町村ハ一ノ青年会トナシ必要ニ応ジテ各所ニ支部ヲ設クル事」(同前)という提案が、前出の北多摩郡青年団体指導者会に提出されていた。
この提案に則って一九一八年四月一五日に村を一団とした小平青年会が設立された(「祝辞」)。ムラ(集落)の青年会は、村青年会の分会として活動することとなり、会長には小平尋常高等小学校長高篠三四郎が就任した。ついで一九二七(昭和二)年三月、小平村青年会は小平村青年団と名称を変え、規約を改正して、村長を団長とし、一五歳から三〇歳までだった会員年齢を、国から推奨された一五歳から二五歳までと変更した。そして新たに国家的要請をうけ、「青年ヲシテ真ニ国家将来ノ運命ヲ担フニ足ルヘキ者」を育成することに目的を定めた(「北多摩郡青年団体指導者会資料」)。
明治期に結成された回田青年会は一五歳から三五歳までが会員となっていたことを思うと、かなり低年齢化している。青年団員が若くなったことは、青年団としての発言力の低下をもたらし、村長を団長に戴くことは行政の下部組織と化することを意味した。また、未成年者が半数を占める団体であるため、より社会教育的側面が強調されるようになった。