図4-3 陸軍経理学校
『第九期陸軍経理学校(卒業アルバム)』1943年 たましん地域文化財団所蔵
難関の入学試験を突破した学生たちは、予科の一年半(本来は二年だが戦時のため短縮)を修了後に隊付士官候補生として数か月をすごし、ふたたび本科に戻って一年半(同前)の教育を受け、それを修了すると見習士官の数か月を経て、晴れて主計少尉に任官することになった。経理学校では外国語を含む一般教育と、軍事学、経済学、法律学、統計学、経営・会計学などの専門教育を、予科・本科であわせて三年という短い期間に修得させた。同時に術科や野外演習といった実技科目と全寮制の日常生活とをつうじて、「軍人精神」と規律をたたき込み、将校としての資質を鍛えたのであった。寮生活は兵営生活と同様で、起床から就寝まで軍隊ラッパ(日課号音)の合図で行動することとなっていた。午前中四時間の学科教育、午後は術科教育や運動がおこなわれ、始業前と就寝前の自習時間は授業の予習・復習・宿題に費やされるなど、息つく暇もないスケジュールであった。
平日はこうして校内での生活が中心であるが、日曜・祝祭日には外出が許可され、東京市内の先輩宅を訪ねたり、明治神宮や靖国神社を参拝したりするほか、弁当をもって武蔵野の散策をする生徒もいたという。したがって近所の子供たちは「いつのほどにか生徒と仲良し」になり、「自然に経理学校の校歌などを聞き覚え、自分たちの歌のやうに口ずさ」むようになり、なかには「経理学校の生徒をあこがれの的」にするようになった子どももいたという(前掲書)。もっとも戦争末期になると「陸経の教育はもう決戦一色で塗り潰ぶされてゐる。日曜もない。〔中略〕この恵まれた武蔵野の環境に在りながら、その辺に足を運ぶ暇もない」(同前)とあり、戦局の悪化とともに、経理学校生徒と地域社会との交流の機会は失われていった。