大学に駐屯した東部九二部隊

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この多摩陸軍技術研究所で研究・開発された電波兵器を実戦使用する際に必要な要員を養成する機関として、一九四四(昭和一九)年二月二二日に多摩陸軍技術研究所電波兵器練習部(通称東部第九二部隊)が編成され、東京産業大学(東京商科大学が改称)予科校舎に本部を置き、また同大学の国立本校専門部校舎も接収した。この部隊には全国から優秀な将校、下士官、幹部候補生が集められ、短期間のうちに教育されたのち、電波兵器をあつかう要員として各地に赴任していった。授業は朝八時から午後四時まであり、午前中は数学や電磁気学の初歩から高等無線理論まで学んだ。東大教授ら学者が講師として教えにきていた。午後には電波兵器の操作にかんする実技や軍事教練があった。夕食後も夜一一時まで勉強時間とされていた。外出は四か月の教育期間終了直前に一日もらえただけだったという(「92部隊・月月火水木金金」)。
 東部九二部隊は一九四五年四月に津田塾の校舎及び女子寮を接収し、下士官の宿舎とした。このとき塾の標札がはずされて部隊の門標に掛け替えられたことに憤慨した女子学生が、門標を玉川上水に流すという事件も起こった(『津田塾六十年史』)。その後五月二五日の空襲で産業大学予科にある兵舎が焼失したため、幹部候補生も津田塾の女子寮に移転することになった。こうして大学に軍隊が駐屯した結果、教育機関としての役割に大きな制約が課せられたのだった。